研究室・資料館とは? わかりやすく解説

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研究室・資料館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 01:14 UTC 版)

ハンセン病」の記事における「研究室・資料館」の解説

国立ハンセン病資料館 国立ハンセン病資料館は、東京都東村山市にあるハンセン病関連する資料を扱う資料館博物館である。元々は高松宮記念ハンセン病資料館として、協会創立40周年記念事業作られた。ハンセン病療養所入所者の実情をよく示しらい予防法廃止への原動力となった資料館に関する資料として「高松宮記念ハンセン病資料館10周年記念誌」(2004年)がある。2007年4月リニューアルし、国立ハンセン病資料館として開館し、現在に至る。 国立感染症研究所ハンセン病研究センター 国立感染症研究所ハンセン病研究センターは、東京都東村山市にあるハンセン病予防および治療に関する調査研究を行う機関である。2011年現在感染制御部がある。当初らい予防法結果国立らい研究所として発足した1955年7月1日)。熊本分室もあったが1957年8月1日廃止された。1997年1月1日国立衛生予防研究所一部となり、4月1日より国立感染症研究所ハンセン病研究センターとなる。多く基礎研究が行われ優れた結果出した安部正英は、非常に敏感なFTA-ABSを開発しらい菌感染について、多く知見もたらしたハンセン病医学夏季大学旧称らい夏季大学)を毎年一週間主宰し関心のある人々教育し、また外国研究者へ指導などに貢献した大阪皮膚病研究会 1929年7月4日大阪匿名篤志家より、元大阪医科大学教授根孝之進に3万円次いで10万円の寄付があり、同教授らが創立した研究会である。「皮膚病」とあるが、ハンセン病専門研究会である。1930年4月専門誌レプラ」を創刊1931年研究所建設しここでは、高坂健二竜男伊藤利根太郎などが活躍しリファンピシン投与により感染源ならないことを発見するなどの業績上げた1932年施設大阪帝国大学寄付され1934年財団法人化した。 1953年根賞(後の日本ハンセン病学会賞)を発足させるなど活動続けたが、使命終えたとして2003年解散した草津町立温泉図書館 草津町立温泉図書館は、群馬県吾妻郡草津町にある公立図書館である。町内国立療養所栗生楽泉園があることから、ハンセン病療養所に関する資料栗生楽泉園に関する資料入所者の出版物など)の収集行っている。2015年平成27年時点500冊ほど所蔵しており、日本図書館の中では最大級蔵書数である。

※この「研究室・資料館」の解説は、「ハンセン病」の解説の一部です。
「研究室・資料館」を含む「ハンセン病」の記事については、「ハンセン病」の概要を参照ください。

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