短歌研究五十首応募の発表と反響
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「中城ふみ子」の記事における「短歌研究五十首応募の発表と反響」の解説
「短歌研究」五十首応募の1位入選の報に喜んでいたふみ子であったが、病状は悪化をし続けていた。4月半ば、隣の入院患者が危篤となり、まもなく亡くなった。ふみ子は万が一に際して知らせて欲しい人物10名の名を日記に書き留めた。その一方で映画を見に行ったり、歌会に出席するなど外出を楽しんでいた。入院中に外出して出席した歌会の席でふみ子が披露した歌が ひざまづく今の苦痛よキリストの腰覆ふは僅かな白き粗布のみ である。 霞友たちがこの歌に関する意見を出し合う中、ふみ子は「キリストも男でしょ」と語り、人間として、男としてのキリストを描き、性的なものを見ていた。ふみ子は入院中も男性との出会いがあった。例えば主治医と高級中華料理店などでデートを楽しんでおり、歌友の大塚陽子は「札幌に来てからも彼女はキリストと出会った」と、主治医とのデートを楽しむふみ子の姿を描写している。 ところでふみ子からのお礼の葉書を受け取った中井英夫は早速手紙を送った。その中で中井は1位入選の経緯を改めて説明するとともに、「短歌研究」と「潮音」への二重投稿を戒め、更に改めて写真と入選者の感想、そして6月号に掲載用の30首を送るように依頼した。これ以降、ふみ子と中井は頻繁に濃密な内容の手紙のやり取りを続けることになる。 ふみ子の作品が巻頭を飾る短歌研究4月号の発行は遅れていたが、4月半ばに刊行された。 唇を捺されて乳房熱かりき癌は嘲ふがにひそかに成さる 男性の唇が触れた時には官能の高まりで熱くなった乳房、しかしその乳房には己をあざ笑うかのように癌が成長していたと、女性の性と癌を詠んだ歌から始まる42首、「乳房喪失」が「短歌研究」4月号の冒頭に掲載されたのである。 「短歌研究」特選のふみ子の歌を巡って、早速賛否両論が噴出した。「短歌研究」5月号には歌壇の反響が載せられているが、「これはやりきれぬ。時代遅れで田舎くさい」、「表現が大雑把で身振りが非常に眼につく……作りものだという気がする」など、否定的な厳しい意見も寄せられ、近藤芳美に至っては次席の石川不二子を褒めただけで特選のふみ子を無視した。実際の歌壇の評価はもっと辛辣であった。その一方で歌壇の若手を中心に熱狂的とも言える支持の声が沸き上がった。五十首応募の参加者のひとりであった山中智恵子は「短歌研究」編集部に早速「中城の歌に狂倒しております」とのファンレターを送った。その他、乳房喪失を読み興奮のあまり一晩眠れなかった、短歌を作る意欲を失いかけていたが希望を得た、短歌を見限ろうと思っていた矢先に光明が見えた等々の感想が続々と寄せられた。 中井はともすると中城の作品から目を背けようとしている既存歌壇の姿勢に対する怒りを深めていた。中でも戦後派と呼ばれる、戦後歌壇にデビューした歌人たちがふみ子の作品を厳しく批判していることに我慢がならなかった。「中城氏の作品に目を背けざるを得ぬとすれば、そこに歌壇の不幸は始まると思われる」、「第二の戦後派は必ず出る、旧勢力に対して本当の反逆ができる若い世代がもうすぐ生まれてくるはずだと語っていた当人が、それらしいものが頭をもたげるが早いか、もう土足で踏みにじろうとする態度には呆れて物がいえない」そう述べた中井は、はっきりと既存歌壇に対する戦闘意欲を高めていた。 そして歌壇の分断ともいうべき混乱状態の中、更に火に油を注ぐような事態が発生することになる。
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