瞳
『水衡記』 画家張僧ヨウは安楽寺の壁に龍を描くが、「瞳を入れると飛び去るから」と言って、白いまま残した。人々が信じないので瞳を点ずると、龍は雲に乗って天に昇った〔*「龍」の字に点を打つと昇天する→〔文字〕7の『弘法大師の書』〕。
『南総里見八犬伝』第9輯巻之27~29 平安時代初期の画家・巨勢金岡(こせのかなおか)が描いた虎の絵は、白眼(しろまなこ)であった。瞳を点じて虎が絵から抜け出ることを、懸念したからである。この絵を見た管領細河政元が、絵師巽風(そんふう)に命じて、両眼に瞳を書き入れさせる。たちまち虎は絵から抜け出して、洛中を暴れ回った。犬江親兵衛が虎の両眼を射て退治し、虎は絵の中に戻った→〔虎〕2。
★2a.眼に瞳が二つある。
『信田(しだ)』(幸若舞) 平将門の眼には瞳が2つあり、彼は関東八ヶ国の王となって8ヵ年を保った。将門の孫である信田の小太郎も左眼に瞳が2つあったので、信田が逆境にあった時、家臣浮島太夫が、「25歳までお待ちなさい。必ず坂東(=関東)八ヶ国の主とおなりになるでしょう」と励ました〔*予言どおり信田は25歳で、帝から坂東八ヶ国をたまわった〕。
『椿説弓張月』前篇巻之1第1回 鎮西八郎為朝は13歳の時、新院(崇徳上皇)の御所に参内した。少納言信西が為朝の面(おもて)を見て、「この小冠者(=若僧)は重瞳(ちょうどう=瞳が2つ)で、普通の人間とは異なる相だ」と言った→〔矢〕1d。
『小栗(をぐり)』(説経) 小栗判官の額には「米」の字が三下(みくだ)りすわり、両眼に瞳が4体あった。人食い馬の鬼鹿毛(おにかげ)はそれを拝み見、前膝を折り黄の涙を流して、「我が背に乗れ」という志を示す。小栗は自在に鬼鹿毛を乗りこなす。
『さんせう太夫』(説経) つし王(厨子王)は、由良の港の人買い・さんせう太夫の屋敷を脱出し、天王寺の茶坊主になる。梅津の院が寺を訪れ、つし王の額に「米」の字が三下(みくだ)りすわり、両眼に瞳が2体ある(=左右の眼に2体ずつある)のを見て、「只者ならず」と認め、養子にする。やがてつし王は帝に対面し、奥州・日向・丹後の国を得る。
『聊斎志異』巻1-5「瞳人語」 方棟が失明して1年ほどたった頃(*→〔車〕4)。目の中で「何という暗さだ」「外へ遊びに行こう」と話し合う声があり、2人の小人が鼻孔から出て来て、庭を見に出かけ、やがてまた目の中へ戻って行った。その後、「両目の間の壁に穴を開け、こちらで一緒に住もう」との声が聞こえ、方棟の左目が開いた。右目は見えぬままだったが、左目には瞳が2つできて、たいへん良く見えた。
★3.瞳に針を刺す。
『春琴抄』(谷崎潤一郎) 佐助は、まず左眼を針で突いてみた(*→〔盲目〕2)。白眼は堅くて針が入らないが、黒眼は柔らかく、2~3度突くとうまい具合にずぶと2分(ぶ)ほど入り、たちまち眼球が一面に白濁して、視力が失せて行った。出血も発熱もなく、痛みもほとんど感じなかった。これは、水晶体の組織を破ったので、外傷性の白内障を起こしたものであろう。佐助は次いで右眼を突き、瞬時にして両眼を潰した。
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