真宗大谷派の謝罪声明
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謝罪声明前略 我が国における「らい予防法」は、一九〇七年その原型である「法律第十一号 らい予防に関する法律」が成立しました。その後、一九三一年には患者の「強制隔離」の条項を盛り込んだ大幅な改正が行われ、隔離の必要性が科学的に否定された後、一九五三年に若干の改正を経るも「隔離」の条項はそのまま引き継がれ、現在に至っていましたが、「全国ハンセン病患者協議会」を中心とした各層の長年の運動によって、さる3月27日ようやく廃止されました。 そもそもこの法律は非感染者の安全のために感染者の”隔離”を目的として作られたものであったのです。病そのものでなく、病気になった人を社会から抹殺するような「らい撲滅」のスローガンに象徴されるように、そこには不都合なものを排除することで、排除した側だけの「安全な社会」ができるとする社会体質が背景として存在していました。この法律は、病としては一つの感染症に過ぎないらいについて法を後ろ盾にしながら強制隔離を必要とするような、恐ろしい病気であるという誤った認識を社会に植え付け、国の隔離政策を正当化するものとして機能してきました。 一九三一年、真宗大谷派はらい予防法の成立にあわせ、教団を挙げて「大谷派光明会」を発足させました。当時から隔離の必要がないことを主張された小笠原登博士のような医学者の存在を見ず、声を聞くこともないままに、隔離を主張する当時の権威であった光田健輔博士らの意見のみを根拠に、無批判に国家政策に追従し、隔離という政策決定に大きな役目を担っていきました。私たち真宗大谷派教団は、その時代社会の中にあって、その法律のもつ意味を正しく認識することができず、国家による甚だしい人権侵害を見抜くことができなかったといわなければなりません。(中略) 確かに一部の善意のひとたちによっていわゆる「慰問布教」はなされてきましたが、それらの人たちの善意にもかかわらず、結果としてこれらの布教のなかには、隔離を運命としてあきらめさせ、園の内と外を目覚めさせないあやまりを犯したものがあったことも認めざるをえません。(中略) 今、療養所の内と外から発せられる糾弾の声に向き合うとき、私たちの教団は四海同胞という教えにそむいたことを懺悔せざるをえません。本当に申し訳ないことです。真宗大谷派は、これらの歴史的事実を深く心に刻み、隔離されてきたすべての「患者」と、そのことで苦しみを抱き続けてこられた家族・親族に対して、ここに謝罪したします。(後略) — 真宗大谷派宗務総長 能邨英士、平成八年四月
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