真宗大谷派の謝罪声明とは? わかりやすく解説

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真宗大谷派の謝罪声明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 07:37 UTC 版)

無癩県運動」の記事における「真宗大谷派の謝罪声明」の解説

謝罪声明前略 我が国における「らい予防法」は、一九七年その原型である「法律第十一号 らい予防に関する法律」が成立しました。その後一九三一年には患者の「強制隔離」の条項盛り込んだ大幅な改正が行われ、隔離必要性科学的に否定された後、一九五三年に若干改正を経るも「隔離」の条項そのまま引き継がれ、現在に至っていましたが、「全国ハンセン病患者協議会」を中心とした各層長年運動によって、さる3月27日ようやく廃止されました。 そもそもこの法律は非感染者安全のため感染者の”隔離”を目的として作られたものであったのです。病そのものでなく、病気になった人を社会から抹殺するような「らい撲滅」のスローガン象徴されるように、そこには不都合なものを排除することで、排除した側だけの「安全な社会」ができるとする社会体質背景として存在していました。この法律は、病としては一つ感染症に過ぎないらいについて法を後ろ盾しながら強制隔離を必要とするような、恐ろしい病気であるという誤った認識社会植え付け、国の隔離政策正当化するものとして機能してきました一九三一年、真宗大谷派らい予防法成立にあわせ、教団挙げて大谷派光明会」を発足させました当時から隔離必要がないことを主張され小笠原登博士のような医学者存在見ず声を聞くともないままに、隔離主張する当時権威であった光田健輔博士らの意見のみを根拠に、無批判国家政策追従し隔離という政策決定大きな役目担っていきました私たち真宗大谷派教団は、その時社会中にあって、その法律のもつ意味を正しく認識することができず、国家による甚だし人権侵害見抜くことができなかったといわなければなりません。(中略確かに一部善意ひとたちによっていわゆる慰問布教はなされきましたが、それらの人たちの善意にもかかわらず結果としてこれらの布教なかには隔離運命としてあきらめさせ、園の内と外目覚めさせないあやまり犯したものがあったことも認めざるをえません。(中略) 今、療養所内と外から発せられる糾弾の声に向き合うとき、私たち教団四海同胞という教えそむいたことを懺悔せざるをえません。本当に申し訳ないことです。真宗大谷派は、これらの歴史的事実深く心に刻み隔離されてきたすべての患者」と、そのこと苦しみ抱き続けてこられた家族親族に対して、ここに謝罪したます。(後略) — 真宗大谷派宗務総長 能邨英士、平成八年四月

※この「真宗大谷派の謝罪声明」の解説は、「無癩県運動」の解説の一部です。
「真宗大谷派の謝罪声明」を含む「無癩県運動」の記事については、「無癩県運動」の概要を参照ください。

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