相模原という地名とは? わかりやすく解説

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相模原という地名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 18:18 UTC 版)

相模原」の記事における「相模原という地名」の解説

相模国高座郡北部から中央部占め台地上の原野は古く相模野と呼ばれた江戸時代には周辺農村草刈り場として台地上に設定され入会地総称として用いられ地形について述べる際に用いられる相模野台地」という呼称もこれによる。それに対して相模原という呼称の使用例比較的古い史料には見られないようである。住居表示以前地籍図記載されている小字名等を収録した土地宝典』(1963年)には大字淵野辺およびここから分立し大字大沼に「相模原」という小字名見られるまた、大字上溝の字戌四号含まれる区域の古い小字名として「相模原」と記載しているものがある。さらに「相模原軍都計画に基づき1940年代実施され区画整理事業以前地図では、1889年明治22年)の明治の大合併の際に溝村1926年町制施行し上溝町)に編入された旧田名飛び地 について「相模原」という小字名記載されている。ただし、これらの「相模原」という地名いつ頃から用いられていたかは明確ではない。 1930年代後半以降現在の相模原市域への陸軍施設進出相次いだが、それらの中には相模原陸軍病院1940年昭和15年)の開設当初原町田陸軍病院在日米陸軍医療センター経て現・グリーンホール相模大野ほか)などのように相模原」を称するものがあった。1938年昭和13年)に臨時東京第三陸軍病院現・国病院機相模原病院)が開設されると、付近通過する小田原急行電鉄(現小田急電鉄)が小田原線上にこの病院への下車駅となる相模原駅開業した。ただし、これらはいずれ現在の相模原市南区小田急線沿線に当たる。 相次ぐ陸軍施設進出背景にそれらの施設集中する高座郡北部の上溝町、座間町ほか6合併による新都市建設への動き活発化し、新自治体呼称としてさまざまな候補の中から選ばれたのが「相模原であった。これら2町6合併により1941年昭和16年4月29日高座郡相模原町発足した1954年昭和29年11月20日相模原市となる(旧座間町1948年昭和23年)に再分離し、現座間市)。相模原町発足先立つ同年4月5日省線横浜線上に相模原駅開業した。この駅は軍都計画によって建設される新都市中心駅として設定されたものである省線相模原駅開業にともない同日小田急線相模原駅小田急相模原駅改称した省線国鉄相模原駅開業後、駅前市街地徐々に形成されたが、特に1954年4月町役場(現市役所)が現在地移転し、同じ頃に神奈川中央交通営業所駅前移転して市内各地へのバス路線ターミナルとなると市内中心商業地として発展した1964年昭和39年)に相模原市住居表示実施するにあたって最初事業対象区域として市役所周辺とともに相模原駅周辺選ばれ同年5月1日大字清兵衛新田大字小山の各一部から相模原一丁目相模原八丁目編成された。

※この「相模原という地名」の解説は、「相模原」の解説の一部です。
「相模原という地名」を含む「相模原」の記事については、「相模原」の概要を参照ください。

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