番組での出来事
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「LUNCH BREAK☆STYLE」の記事における「番組での出来事」の解説
田崎真珠との協力で「ラブ☆スタオリジナルアクセサリープロジェクト」と題し、オリジナルのアクセサリーを販売したことがある。クリスマスにバージョンのアクセサリーも販売した。 2006年8月28日の放送は冨永が都合でこられなくなったため、水・木担当の臼井が急遽代打を務めた。 berry(現:池上ケイ)のホームページの日記で番組名がランチブレックススタイルと誤記されていたことがあった。2回目にゲスト出演した際に、冨永がそのことにツッコミを入れていた。 2007年1月2日にダイヤモンドシティソレイユ(現:イオンモール広島府中)3階フタバ図書TERAサテライトスタジオでこの番組では初の公開生放送が行われることになった。このプログラムでは、臼井がメインで、冨永がスキー場でのレポートをするというスタイルだった。冨永がスタジオに登場していたのはオープニングとエンディングくらいだった。余談だが、冨永はこの番組の担当前にこのスタジオでの定期公開生放送番組(番組は2006年3月30日に終了)を担当していた。 2007年4月からDJと曜日担当が変更。月・火はこれまで水・木担当の臼井が、水・木はこれまでは9ジラジを担当していた山口雅美が担当(現在、月〜木の9ジラジは大窪シゲキが担当)。山口が夏休みの際は、月・火の臼井が代理を務める。尚、月・火担当だった冨永はキムラミチタの後任として、Vibe ON!MUSICを担当するため、2007年3月27日の放送で降板。
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番組での出来事
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「玉置宏の笑顔でこんにちは!」の記事における「番組での出来事」の解説
1978年11月23日9時01分のAMラジオ周波数改正で、ニッポン放送の周波数が1240kHzから1242kHzに変わったのに伴い、9:01に改めてOPテーマが流れた。(これは国際電気通信連合の取り決めで10KHZステップが9KHZステップに変更されたものであるが、この日の午前5時から試験放送という名目で周波数の変更は既に実施されていた) 1988年4月12日の放送中、玉置が貧血を起こして途中リタイア、胃潰瘍による内出血と診断されたため入院となり番組を休むことになった。復帰するまでの間、玉置と同じ昭和9年生まれで親交のある藤村俊二、坂上二郎、森山周一郎らが代役を務める。その後経過はよく、5月23日から復帰した。 1990年の日本プロ野球は、4月の時点では大洋が一時首位に立つなど好調で、大の大洋ファンの玉置もそれを嬉しく思って度々番組中でホエールズの話をしており、そのうちに同じ大洋ファンだというリスナーの投書が増えるようになっていった。これに目を付け、リスナーと一緒にホエールズを応援しに行こうというイベント企画が立ち上がり、約6,000人の応募の中から100人を招待して『玉置宏と行くぞ!大洋 もうすでに優勝!?気分 30年のごぶさたでした応援団』を結成し(“30年”とは、当時大洋が1960年の優勝から30年遠ざかっていたということから)、同年5月8日に横浜スタジアムで行われた対巨人戦を観戦した(この時は同じく大の大洋ファンの塚越孝アナウンサーも同行)。しかしこの試合は12-0で大洋の大敗に終わっている。
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