生駒十三峠の十三塚とは? わかりやすく解説

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生駒十三峠の十三塚

名称: 生駒十三峠の十三塚
ふりがな いこまじゅうさんとうげのじゅうさんづか
種別 信仰用いられるもの
員数 13
指定年月日 1986.03.31(昭和61.03.31)
所有者 近畿日本鉄道株式会社
所有者住所 奈良県大阪市天王寺区上本町六―一―一
管理団体名:
備考
解説文: 生駒十三峠の十三塚は、大和国河内国国境奈良県生駒郡平群町福貴畑二三一〇番、同福貴畑二六九一番と大阪府八尾市神立九九四番またがって所在し河内から大和竜田法隆寺方面抜け十三街道ないしは十三越道【ごえみち】の十三峠北側接して南北に列なっている。
 延宝七年一六七九)編の『河内鑑名所記』に「十三峠、山の上に塚十三ありし故にいふとなり」とあり、貝原益軒元禄十六年(一七〇三)に著わした『筑前国続風土記』にも「大和国立田越【やまとのくにたつたごえ】の山上にも十三塚あり、故に俗に立田越といはずして十三越といふ」と、十三峠十三越の地名十三塚由来することを記している。
 この生駒十三峠の十三塚は、十三の塚が稜線上に南北に列状をなし、標高四三メートルの最高所中央の王塚が築かれている。この王塚は、神武天皇皇后五十鈴媛命【いすずひめのみこと】の御陵小塚殉死者の塚であるとの伝説伴い、塚に触れると崇りがあり、塚に雨乞いをし、塚に祈ると災難疾病平癒するといわれてきている。
 この十三塚規模は、直径三・〇七ないし六・二五メートル、高さ〇・五四ないし一・四メートル平面円形盛土の列塚十二基とその中央の直径六・六五×六・五メートル、高さ一・四メートルの王塚一基とからなっている。王塚は他の十二基の列塚に比べてひときわ大きく築造されており、それが稜線の最高所にあるために一層堂々と見える。また、この王塚の裾の西側一辺〇・八×一・九メートル長方形祭壇状の割石石敷設けられており、側には合掌する仏像の下に「十三塚」と陰刻した高さ一・二メートルほどの標石がある。この標石左右側面銘記により嘉永三年一八五〇)大阪商人播磨屋太七と淀屋定助によって建立されたことが判明する
 この生駒十三峠の十三塚は、大和河内の国境の稜線越え街道の峠に接して築造されており、すでに江戸中期広く知られ代表的な十三塚であり、保存状況良好で、庶民信仰様相を示すものとして重要である。

生駒十三峠の十三塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 03:48 UTC 版)

生駒十三峠の十三塚(いこまじゅうさんとうげのじゅうさんづか)は、奈良県生駒郡平群町十三峠近くにある十三塚。日本国内において完存する十三塚としては貴重な存在であり、国の重要有形民俗文化財の指定を受けている[1]


  1. ^ 生駒十三峠の十三塚 - 文化遺産オンライン:データーベース(文化庁)


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