江古田の富士塚とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 江古田の富士塚の意味・解説 

江古田の富士塚

名称: 江古田の富士塚
ふりがな えごたのふじづか
種別 信仰用いられるもの
員数 1基
指定年月日 1979.05.21(昭和54.05.21)
所有者 浅間神社
所有者住所 東京都練馬区小竹町一丁目
管理団体名:
備考
解説文: 江古田の富士塚は、富士講一派小竹丸祓【こたけまるはらい】講によって天保十年一八三九)に築造されたものとされているが、一説には文化年間一八四-一八一七)築造ともいう。高さ約八メートル直径三〇メートル関東大震災時に損壊したが、その後復旧され、塚全体富士熔岩おおわれている。
 頂上唐破風屋根のついた石祠は、天保十年造立されたもので、他に経ケ嶽太郎坊・小御嶽【こみたけ】神社石碑や、大天狗小天狗神猿などの石像もあり、元治二年(一八六五)の講碑、大正十二震災時御神体修築の碑などが建っている。現在の社殿前に文化四年(一八〇七)の石燈籠文化九年(一八一二の手水鉢なども残っており、このことから文化年間築造説も一概に無視できない
 なお、社殿中には弘化二年(一八四五)のおたきあげの灰炉など富士講祭具残っている。都区内富士塚の中では、大規模な部類属し庶民信仰様相を示すものとして重要である。

江古田の富士塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 06:21 UTC 版)

浅間神社 (練馬区小竹町)」の記事における「江古田の富士塚」の解説

拝殿後方に国の重要有形民俗文化財指定されている「江古田の富士塚」(えこだのふじづか通称江古田富士とも)が保存されている(1979年5月21日指定、なお1986年には練馬区登録有形民俗文化財にも登録)。富士山溶岩覆われ富士塚で、天保10年1839年)に小竹丸祓講により建造されとされる。高さ8メートル直径30メートルで、山には天狗などの神像石碑もある。境内には文化4年1807年)の石灯籠などの遺物残っていることから、この富士塚文化年間築かれたのではないかという説もある。都区内富士塚の中では大規模なものとされる。 この富士塚では「山開き」「登山」などの神事おこなわれており、記録映画作成された。1983年最後に講中による富士塚参詣なくなったが、7月1日山開き続けられておりこの日には一般の登拝が可能である(この他正月三が日当社例祭が行われる9月の第2土曜日および日曜日にも登ることができる)。 2000年度には「江古田富士講関係資料」が練馬区登録有形民俗文化財になった。 江古田の富士塚、普段は柵が閉まっており登拝不可 特定日のみ柵が開かれ、登拝できる(2015年7月1日山開き実施日富士塚近距離から撮影2015年7月1日

※この「江古田の富士塚」の解説は、「浅間神社 (練馬区小竹町)」の解説の一部です。
「江古田の富士塚」を含む「浅間神社 (練馬区小竹町)」の記事については、「浅間神社 (練馬区小竹町)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「江古田の富士塚」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「江古田の富士塚」の関連用語

江古田の富士塚のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



江古田の富士塚のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの浅間神社 (練馬区小竹町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS