重要有形民俗文化財の富士塚とは? わかりやすく解説

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重要有形民俗文化財の富士塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 14:13 UTC 版)

富士塚」の記事における「重要有形民俗文化財の富士塚」の解説

木曽呂の富士塚1800年寛政12年)に、富士講一派である「丸参講」によって現在の埼玉県川口市東内野築造された。埼玉県内では最古富士塚とされ、盛土による塚の頂上に「火口」がみられるほか、築造当時胎内くぐりの穴もみられたという。 志木田子山富士塚 下谷坂本の富士塚1828年文政11年)に、富士講一派である「入谷東山東)講」によって現在の東京都台東区下谷築造された。富士山溶岩覆われた塚の登山道合目石がみられ、一合目の岩屋には役行者像、五合目には富士講の祖とされる角行の像を祀る石祠みられる江古田の富士塚1839年天保10年)に築造一説では文化年間1804年1818年)の築造ともされる)。富士山溶岩覆われた塚の頂上唐破風屋根石祠みられるほか、経ケ嶽太郎坊・小御嶽神社石碑大天狗小天狗神猿などの石像みられる豊島長崎の富士塚高松富士1862年文久2年)に、富士講一派である「月三講」(椎名町元講)によって現在の東京都豊島区高松築造された。富士山溶岩覆われた塚の頂上石祠みられるほか、多く石碑や他の講碑がみられ、現在はその中に明治期以後の講碑もみられる半世紀近く一般の登拝ができなかったが、2014年7月6日山開きとなり、一般登拝が実施された(翌年以降7月上旬頃に山開き実施している)。 木曽呂の富士塚埼玉県川口市下谷坂本の富士塚東京都台東区小野照崎神社境内江古田の富士塚東京都練馬区茅原浅間神社境内豊島長崎の富士塚東京都豊島区富士浅間神社境内

※この「重要有形民俗文化財の富士塚」の解説は、「富士塚」の解説の一部です。
「重要有形民俗文化財の富士塚」を含む「富士塚」の記事については、「富士塚」の概要を参照ください。

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