独立闘争・難民とは? わかりやすく解説

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独立闘争・難民

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 04:35 UTC 版)

カレン族」の記事における「独立闘争・難民」の解説

ミャンマーでは1947年独立以来カレン民族同盟 (KNU) のカレン民族解放軍及びカレンニー民族進歩党(カヤー州)のカレンニー軍が、軍事政権国家平和発展評議会及び民主カレン仏教徒軍に対して国境地域にあるコートレイ(en)解放区(コートレイ共和国, 1949年6月14日 - 1950年3月)の独立闘争行っている。 1984年以来KNU傘下難民委員会援助によって戦乱避けてタイ流入した難民は、1980年から90年にかけてのタイ経済好調に乗って安価な労働力提供した1990年欧米投資によってタンニタイ管区通過する天然ガスパイプライン計画持ち上がり市民強制移住させた上でKNU掃討作戦開始され、さらに多く難民発生した1995年はマナプロウ(英語版にあったKNU本部掃討され、その兵力半減した。マヌプロウ陥落後に難民急増し1998年には国連によってタイ西側2か所に難民キャンプ設けられた。 2011年調査報告によると、タイミャンマー国境付近に14万人上の難民が約30年渡って滞在していた。国連難民高等弁務官UNHCR)では難民問題解消のために、難民キャンプ当事国以外への移住推進する第三国定住プログラム」を世界的に展開しており、2011年時点での移住候補難民出身国別で見るとミャンマー最大21,290名、続いてイラク19,994名、ソマリア15,719となっている。定住先はアメリカ合衆国単位圧倒的に多いものの、日本でも2010年から試験的に第三国定住プログラム受け入れ国として事業協力しており、2012年11月までに45名を受け入れている。 また、2016年にはタイ政府ミャンマー政府間で難民任意帰還計画合意達している。この帰還にもUNHCR両国政府仲介役として支援参加している。その後2019年2月には700名強がミャンマー帰還しているものの、2019年7月時点ミャンマー難民未だ96,000名に上り、9か所の収容所分かれて暮らしている。難民大多数は白カレン族、赤カレン族(カレンニー)、およびビルマ族構成されている。タイミャンマー国境沿いにある最大メラ難民キャンプを例に取ると、2008年時点難民数は43,000名に達していたが、2019年7月時点では約35,000名まで減少している。 国外脱出したカレン族中には国際社会ミャンマー現状伝え外部圧力団体として活動している人びともいる。 現在[いつ?]、バルーチャウン川下流のサルウィン川にも大型水力ダムハッジーダム(Hat Gyi Dam, Dams in Burma)建設計画出ており、さらに大規模な民族浄化に繋がる懸念出ている[誰?]。

※この「独立闘争・難民」の解説は、「カレン族」の解説の一部です。
「独立闘争・難民」を含む「カレン族」の記事については、「カレン族」の概要を参照ください。

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