独立開業後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 03:08 UTC 版)
38歳だった1924年(大正13年)には愛知県営繕課を退職し、碧海郡刈谷町元中根47-1(現・刈谷市元町)に大中建築事務所を開設して独立した。名古屋市には西原や鈴木禎次による個人建築事務所があったが、名古屋市以外の愛知県では最も早く開設された個人建築事務所とされている。大中建築事務所開設後の昭和初期には市川呉服店、1927年(昭和2年)には上天温泉、1930年(昭和5年)には山中従天医館、1930年(昭和5年)頃には富士松村役場などを設計している。大中建築事務所開設前を含めると、学校などの公共建築、個人宅や医院など、生涯で70棟ほどを設計した。 1937年(昭和12年)頃には戦時統制経済が強化されており、1939年(昭和14年)頃からは大中建築設計事務所も開店休業状態となったため、1941年(昭和16年)には長谷部竹腰建築事務所名古屋支所の仕事を手伝っている。戦後には知多郡東浦町の東浦町役場や東浦町立緒川小学校の設計を手掛けた。1950年(昭和25年)9月15日、逢妻川での投網中に脳溢血で倒れて死去した。墓所は刈谷市の青山斎園。
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