独立革命の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 07:52 UTC 版)
イダルゴの演説を聞いた群衆は熱狂した。やがて怒れる群衆がこの地方の拠点都市であったグアナフアトに向かって行進した。グアナフアトの鉱山夫たちもドロレスから来た先住民やメスティーソの農民や労働者に加わった。役人や富裕な人々など、彼らに抵抗したペニンスラールは残らず虐殺・略奪された。 イダルゴ率いる独立軍はグアナフアトから一路メキシコシティを目指して進軍し、途中のサカテカス、サン・ルイス・ポトシ、モレリア(当時のバリャドリード)といった都市を陥落させペニンスラールを皆殺しにした。1810年10月30日、彼らはヌエバ・エスパーニャの首都メキシコシティの手前のモンテ・デ・ラス・クルセス(Monte de las Cruces)で政府軍の抵抗にあい、辛くも勝利するものの多大な犠牲を出して進軍の勢いが止まり、首都攻略に失敗した。いくつかの勝利を収めた後、独立軍は被害を立て直すために北のテキサスへ向かった。 翌年、再度首都を目指し南への進撃を開始するものの、クリオーリョも含めた白人全般に対し敵対的な独立軍は幅広い支持を得るのに失敗していた。3月、独立軍は政府軍の待ち伏せにあい大敗し、現在のコアウイラ州のモンクローバで捕虜となった。アメリカ合衆国に逃げようとしたイダルゴは逮捕され、異端審問所(Santo Oficio de la Inquisición)で司祭として審理され、異端と反逆の罪で有罪となり、死刑を宣告された。1811年7月31日、彼は銃殺刑に処され、体は切断されて首はグアナフアト市街に住民への反乱の戒めのため晒された。
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