難民委員会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 20:49 UTC 版)
「ゾラフ・バルハフティク」の記事における「難民委員会」の解説
リトアニアに到着したバルハフティクはカウナスでユダヤ人の難民救済委員会の事実上の代表者として、現地にいるユダヤ人難民の救済に力を尽くすこととなる。当時リトアニアはリトアニア・ソビエト社会主義共和国となり、事実上ソ連の支配下に入っていた。ソ連は難民にソ連の市民権を取るか、シベリア送りになるかを迫った。これには現地のユダヤ人の中でも市民権を取ってソ連に定住するか、国外に脱出するか意見が分かれた。その中で、バルハフティクらは難民らの国外脱出、トルコ経由で当時イギリス委任統治領だったパレスチナへの移住を推し進めることを決める。パレスチナへ渡航するにはイギリスの許可証が必要であったが、ソ連はカウナスの外国公館の閉鎖を命じており、事態は急を要していた。バルハフティクらはイギリス領事館閉鎖の直前に許可証を手に入れ、それを偽造するなどして、ユダヤ難民の出国を手助けした。この方法で1000人余りのユダヤ人がパレスチナへ到着したという。
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