難民収容所 - スペイン内戦とは? わかりやすく解説

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難民収容所 - スペイン内戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 14:43 UTC 版)

リヴザルト収容所」の記事における「難民収容所 - スペイン内戦」の解説

ル・ヴェルネ収容所#スペイン内戦」も参照 1936年勃発したスペイン内戦で、1939年1月26日バルセロナ陥落すると、2週間ほどの間に約5万人の難民ピレネー山脈越えてフランス到着した。「レティラーダ(フランス語版)」(「撤退」の意)として知られる、このスペインからの難民大量流入受けてダラディエ政府国境再開した。というのは、スペイン内戦勃発した1936年より前から、とりわけヒトラー内閣成立した1933年以降は、それ以前欧州で最も多く移民・難民受け入れていたフランスも、規制強化せざるを得なくなり、すでに1938年6月13日スペイン国境を閉鎖していたからである。1938年11月12日政令外国人取締法、11月13日フランス共和国官報掲載)では、外国人居住条件フランス国籍の取得条件厳格化されるほか、「国防治安を脅かすおそれのある個人」を敵性外国人として国外追放し、もしくは国防戦争相および内相決定基づいて指定され施設収容する定められ、これ以後、「集結所」、「宿泊所」と称する施設全国設置されていった。こうして、ジョフル収容所1939年に、他の施設への配属を待つ難民通過一時滞在収容所リヴザルト収容所となった同年2月スペインから最初民間人難民到着し収容所内の16区画(各区150、計2,400バラック)に割り当てられた。 1940年収容所一部が、労働省フランス語版所轄外国人労働者隊(CTE)に割り当てられた。外国人労働者隊とは、亡命申請許可され外国人に、フランス軍における兵役代わりに労働提供するよう促す1939年4月12日政令によって結成されたものであり、後に外国人労働者団(GTE)と改称されリヴザルト収容所にはスペイン人によって構成される223227および228労働団計1,600人のほか、フランス領セネガル人・インドシナ人らによる植民地軍28歩兵連隊(RICMS)が置かれた。

※この「難民収容所 - スペイン内戦」の解説は、「リヴザルト収容所」の解説の一部です。
「難民収容所 - スペイン内戦」を含む「リヴザルト収容所」の記事については、「リヴザルト収容所」の概要を参照ください。

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