狩野一信とは? わかりやすく解説

狩野一信

読み方:かのう

幕末狩野派画家。号は顕幽斎。初め土佐四条、後狩野素川に師事する諸派の長を斟酌し一家成した仏画秀で作品成田山不動堂天井の龍・壁の釈迦三尊十大弟子や、五百羅漢図等がある。文久3年(1863)歿、48才。

狩野一信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 15:18 UTC 版)

狩野 一信(かのう かずのぶ、文化13年(1816年)誕生日不明 - 文久3年9月22日1863年11月3日))は、江戸時代後期の絵師。本姓は不明、後に逸見。通称、豊次郎(とよじろう)[1]は顕幽斎。なお、研究の進展により一信は生前に狩野姓を名乗ったことはなく、「逸見一信(へんみ かずのぶ)」、あるいは「顕幽斎一信(けんゆうさい かずのぶ)」と呼ぶのが適切とする意見もある(後述)。なお、徳川将軍家の表絵師として仕えた深川水場狩野家に狩野梅笑一信という絵師がおり、両者を混同している書籍もあるが、両者は生歿年が異なる別人である。


  1. ^ 江戸博図録(2011)p.15。
  2. ^ 安村敏信 「一信が学んだもの」『国華』第1437号、pp.32-34。
  3. ^ 森大狂 「狩野一信伝」(『近世名匠談』1900年、所収)。
  4. ^ 西田直樹 「増上寺『五百羅漢図』の成立過程の研究」『作大論集』 第2号、作新学院大学、2012年3月、pp.61-78。
  5. ^ 井手誠之輔 「日本における五百羅漢図の展開─大徳寺本系五百羅漢図から一信の増上寺本へ」(山口県美図録(2013)pp.185-187)。
  6. ^ 江戸博図録(2011)。
  7. ^ 港区の文化財保護狩野一信関連資料〈逸見家伝来〉
  8. ^ 安村(2013)pp.230-231。
  9. ^ 山下裕二 「狩野一信研究の現状と展望」『国華』第1437号、p.28。
  10. ^ 高崎市タワー美術館編集・発行 『香る大名文化 ─旧高崎藩主・安藤家の至宝』 2009年、pp.34-35、97。


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