父・島本敬一とは? わかりやすく解説

父・島本敬一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 02:31 UTC 版)

島本真」の記事における「父・島本敬一」の解説

島本の父・敬一は、航空界、航空機造詣深く、輝く未来を航空機見ていた。敬一はグリコ製菓宣伝部在籍時、次のような企画書作成した。 『児童工作知識普及させ、自作軽飛行機での帆走飛行により工作航空興味育む商品発売資するため、模型飛行機材料提供して自作模型模型飛行機による帆走競技実施企画して実行する。その一つ模型飛行機を人が操縦して滑空知識助成努める。大日本帆走協会帆走大会参加して滞空飛行記録作る事を意図し福岡前田航研にてグリコ号製作して大日本飛行協会開催グライダーによる記録飛行樹立資するように協力した。』 (敬一企画書引用) この企画書により前田航研で作られグリコ号まつわる話を、息子真は次のように説明した。 敬一は、航空思想喚起と、模型飛行機作ることで工作能力養成計りあわせてグリコ販売促進計画立案グリコ愛好者模型飛行機材を景品として呈上した。景品模型飛行機機材組み立てられた製作機で、帆走競技会地区毎に開催し、優秀者を表彰各地大会の後全国大会開催する。この会の権威シンボルとして高等帆走機(グライダー)を製作しグリコ号命名した毎日新聞社大日本飛行協会との共催生駒山上で帆走滞空競技参加して滑空記録達成のため日本初めてのカンチレバー胴体から翼が出ている)、長時間滞空可能の目的操縦席はセルロイド・カバーを取り付けた操縦海軍航空隊出身長時間飛行歴がある松本滑空士が操縦して昭和12年5月23日生駒山行われた第1回全日本帆走飛行大会参加したグリコ号は、発航帆走後7分で操縦席カバー故障のため、山腹墜落破損しこの企画挫折した。敬一は、毎日新聞社羽太航空部と共に再度決行要請し懇願したが、当時の古専務取締役賛成を得る事が叶わず中止断念する事となった。失望した敬一はその後機会得てグリコ退社した。 敬一は、大日本飛行協会大阪支部長であった陸軍少将鶴見駿太郎当時閣下)の要請で、同会の嘱託として航空思想普及仕事あたった陸軍少将鶴見駿太郎との経緯は、敬一が現役兵として歩兵第37連隊所属時の大隊長であり、師として仰いでいた。鶴見少将退役後、大日本飛行協会大阪支部支部長として航空思想普及貢献していた。また、敬一は関連して日本航空創始者伝えられる二宮忠八翁の飛行機会の評議員としても助勢するなど、敬一の航空界に寄与した役割大きく、その意志息子である真に引き継がれた。 敬一は三菱商事森下仁丹江崎グリコ奉職そのあと大手企業数社に職を得るが、いずれも招聘されての就職あった。後半人生では、常に数社の企業顧問としてその経験知識生かした。敬一は95年天寿を全うしその最後の年まで地域活動積極的に参加すると共に自身見識経験講演の形で発表し社会還元していた。

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