大会の後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 03:15 UTC 版)
「1880年共和党全国大会」の記事における「大会の後」の解説
ガーフィールドは大統領候補として初めてポーチ前選挙運動を行った。あちこちと旅してはおらず、通常は家に居て、訪問者に大統領となった時の計画を語っていた。ガーフィールドは選挙運動のために党大会に出た他の候補者の支援を要請していた。1880年民主党全国大会は、大統領候補にウィンフィールド・スコット・ハンコックを、副大統領候補にウィリアム・ヘイデン・イングリッシュを選んだ。選挙戦は大変な接戦となり、一般投票の結果で、ガーフィールドは絶対多数に1万票足らず乗せただけだった。ある資料ではそれを2,000票と言っていた。しかし、選挙人数では全体369人のうちガーフィールドが214人を確保して当選した。 大統領選挙の結果 大統領候補者 出身州 党 得票数 得票率 選挙人得票数 副大統領候補者 出身州 選挙人得票数 ジェームズ・ガーフィールド オハイオ州 共和党 4,446,158 48.3% 214 チェスター・A・アーサー ニューヨーク州 214 ウィンフィールド・スコット・ハンコック ペンシルバニア州 民主党進歩的共和党 4,444,260 48.3% 155 ウィリアム・ヘイデン・イングリッシュ インディアナ州 155 ジェイムズ・ベアード・ウィーバー アイオワ州 グリーンバック労働党 305,997 3.3% 0 バージレイ・チェンバーズ テキサス州 0 ニール・ダウ メイン州 禁酒党 10,305 0.1% 0 ヘンリー・アダムズ・トンプソン オハイオ州 0 ジョン・W・フェルプス バーモント州 アメリカ国民党 700 0.0% 0 サミュエル・C・ポメロイ カンザス州 0 その他 - 3,631 0.0% 0 - 0 合計 9,211,051 100% 369 - 369 選出必要数 185 - 185 1881年7月2日、ガーフィールドは、ワシントンD.C.にあるボルチモア・アンド・ポトマック鉄道の駅で元シカゴの弁護士チャールズ・J・ギトーに銃で撃たれた。ギトーはストールワート派の確たる支持者であり、ニューヨーク州ではグラント支持者を集めて演説を行ったこともあった。ガーフィールドが大統領に当選した後、ギトーはパリの領事に指名されることを期待して、何度も大統領と国務長官のジェイムズ・G・ブレインに接触しようとしていた。ブレインからその職には就けないと言い渡された後、ギトーはガーフィールドに復讐することにした。何週間も暗殺の計画を練った。ガーフィールドを撃った後、「私はストールワートだ、アーサーが大統領だ」と叫んだ。ガーフィールドは狙撃から2か月半以上経った9月19日に死亡した。長い裁判が続いた後、ギトーは死刑を宣告され、1882年6月30日に絞首刑になった。
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