爆雷と護送船団とは? わかりやすく解説

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爆雷と護送船団 (第一次世界大戦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 02:52 UTC 版)

対潜戦」の記事における「爆雷と護送船団 (第一次世界大戦)」の解説

潜水艦本格的に実戦投入されたのは第一次世界大戦からであり、1914年大戦の勃発までに300隻近い潜水艦任務に就いていた。これに対抗するため、この時期建造され艦艇は、魚雷対す防御として、装甲帯をつけていた。 大戦勃発から1ヶ月後の9月5日Uボートの1隻であるU21雷撃によりイギリス海軍偵察巡洋艦パスファインダー」が撃沈されたのを端緒として、その17日後の9月22日にはU9が3隻のクレッシー級装甲巡洋艦立て続け撃沈するなど、潜水艦の脅威猖獗極めた。 また1915年からは通商破壊戦1917年からはさらに拡大した無制限潜水艦作戦開始された。島国であるイギリス帝国資源食料多く海外植民地からの輸入頼っていたことから、これに対しイギリス海軍全力対抗し大西洋の戦い幕を開けた。 この戦い通じて現代通じ対潜戦技術多く実用化されていくことになった水上艦Uボート対抗する手段としては、当初浮上時に体当たり砲撃加えるのが普通であり、潜航中の敵艦攻撃できる手段としては原始的な曳航爆破具が用いられていた程度であったが、1914年11月より投射式の爆雷開発開始され1915年実用化された。またハイドロフォン(のちのパッシブ・ソナー)の実用化進められ1915年には地上局設置され1916年には艦載化が開始された。アクティブ式のASDIC(のちのアクティブ・ソナー)の開発進められたが、その実用化は1920年と、大戦には間に合わなかった。 さらに機雷戦応用され1918年には、英米共同73,000個以上の機雷敷設して北海機雷堰を構築し13隻のUボート撃沈休戦まで潜水艦封じ込めた。また大戦末期には、地上基地からの対潜哨戒機実用化された。 また作戦術戦術研究進められた。1917年より開始され手法一つQシップ呼ばれる武装商船であった。このQシップを、Uボート行動確認され海域へ向け単独航行させる当時Uボート搭載されていた魚雷貴重品であり、簡単に使える物ではなかったため、護衛無し単独航行中商船場合は、浮上して砲撃攻撃していた。Qシップはこれを利用し無防備な商船装って安心したUボート攻撃しよう浮上した所を、突然攻撃してこれを撃沈するものであったが、無制限潜水艦作戦開始とともに有効性低下した之字運動ダズル迷彩なども自衛手段として普及した。最も効果有った対潜戦術は、やはり1917年より着手され護送船団方式であった。船を集団行動させて護衛艦付ければ、単独行動時よりも輸送効率悪くなるが、一隻当たりの被発見率を低下させる事が出来る。この方式により、それまで一回航行付き10%程度だった商船の被撃沈率は1%程度にまで低下した最終的に連合軍勝利をおさめたものの、約5,300隻、1,300トンに及ぶ商船失い世界は「灰色の狼」と呼ばれたUボート脅威を知ることとなった

※この「爆雷と護送船団 (第一次世界大戦)」の解説は、「対潜戦」の解説の一部です。
「爆雷と護送船団 (第一次世界大戦)」を含む「対潜戦」の記事については、「対潜戦」の概要を参照ください。

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