渡仏、音楽プロデューサーとしての成功
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「ロマーノ・ムスマッラ」の記事における「渡仏、音楽プロデューサーとしての成功」の解説
1980年代になるとムスマッラはフランスに渡り、フレンチ・ポップスの作曲家兼プロデューサーとして精力的に活動する。1983年にはフランスの女性歌手ジャンヌ・マスへの楽曲提供・プロデュースによって成功を収める。 1984年にラ・ボッテガ・デラルテは解散。ムスマッラはアーティストとしての活動から離れて、作曲家兼音楽プロデューサーとしての活動に力を注ぐ。1980年代のムスマッラは伝統的なシャンソンやカンツォーネの影響をあまり感じさせない80年代的なディスコ音楽を得意とし、ヒット曲を多く世に送り出した。この時期のムスマッラは作曲家兼音楽プロデューサーとして、ジャンヌ・マス、ステファニー・ド・モナコ、セシリア、キャロル・ウェルスマンといった歌手をプロデュースしてスター歌手に育て上げる。特にステファニー・ド・モナコが歌う「恋はセンセーション」Ouragan と、ジャンヌ・マスが歌う「赤と黒」En rouge et noir は大成功を収めている。「恋はセンセーション」は日本において石井明美(「愛は嵐」と改題)や小田陽子によってカバーされた。また、後にムスマッラ夫人となるリンダ・ウィリアムをプロデュースしてスターに育て上げており、1989年にリンダ・ウィリアムが歌った「恋の傷あと」 Traces は日本でもディスコ音楽としてそこそこ話題となった。 1980年代のムスマッラはジャンヌ・マスへの楽曲提供でヒットを連発するが、1986年のジャンヌ・マス最大のヒット曲「赤と黒」En rouge et noir が収められた「今日の女たち」Femmes d'aujourd'hui というアルバムを最後に2人はコンビを解消し、その後ジャンヌ・マスの人気は急落してしまう。このアルバムのタイトル曲である"Femmes d'aujourd'hui" は日本において「モダン・ウーマン」という邦題で中森明菜によってカバーされた。 ムスマッラは自身がプロデュースしてスターに育て上げた歌手リンダ・ウィリアムと結婚。1994年には長男ヨーラムが生まれるが、妻リンダは2010年に45歳の若さで自殺を図ってしまう。 ムスマッラはミレイユ・マチュー、シルヴィー・ヴァルタン、デミス・ルソスのような有名歌手に楽曲を提供した他、駆け出し時代のセリーヌ・ディオンにも、"Je ne veux pas"や「どう愛せばいいの」Comment t'aimer という楽曲を提供している。ムスマッラはその後も1991年にセリーヌ・ディオンの「フランス物語〜セリーヌ・ディオン、プラモンドンを歌う」というアルバムをプロデュースしており、このアルバムに収められた「愛は最悪の孤独」Je danse dans ma tête という楽曲はムスマッラが作曲した。「愛は最悪の孤独」は翌年にアルバムから独立してシングルカットして発売され、1992年3月23日にケベック有線チャートの圏内に入って以降、14週間連続でランクインし、最高位3位を記録した。ムスマッラは2007年にもセリーヌ・ディオンに "Baby close your eyes" という楽曲を提供している。 1996年にはレイ・チャールズに"Out My Life" という楽曲を提供するなど、国際的に活躍の場を広げた。また、変わったところではアラン・ドロンが歌う"Comme au cinéma" という曲を作曲・プロデュースしている。 ポップス界のみならず、著名なテノール歌手のルチアーノ・パヴァロッティに「夜」Notte と「歌」Il canto という2曲の歌曲を提供しており、これらの歌曲は近年、パヴァロッティ以外のテノール歌手のリサイタルでも取り上げられることが多い。さらに近年では若手テノール歌手としてオペラ界で注目を浴びているヴィットリオ・グリゴーロのポップスへの進出を、楽曲提供およびプロデュースによって手助けしている。パヴァロッティに提供した2曲のようなイタリア歌曲風の作品ではなく、グリゴーロのテノールによる発声技術を活かしながらポップスの技法で作曲されたミュージカルの歌曲を思わせるロマンティックな楽曲を提供しており、音楽ジャンルとしてはクラシカル・クロスオーバーとして分類される。ムスマッラの作曲・プロデュースによって、グリゴーロがクラシカル・クロスオーバーの人気歌手キャサリン・ジェンキンスとデュエットした"Il mio miracolo (You are My Miracle)" は特に評判となった。
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