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浅利三朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/10 13:58 UTC 版)

浅利三朗

浅利 三朗(淺利 三朗、あさり さぶろう、1882年明治15年)11月10日1966年昭和41年)11月3日)は、日本内務及び朝鮮総督府官僚政治家栃木県知事(官選第25代)、香川県知事(官選第19代)、衆議院議員(3期)。

経歴

岩手県出身。浅利杏坪の三男として生まれ、兄・浅利寛の養子となる。一関中学第二高等学校を経て、1909年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、内務省に入省し三重県属となり、内務部勧業課に配属された。

1910年5月、三重県内務部地方課に配属。以後、山形県事務官、同視学官大阪府視学官、茨城県警察部長、高知県警察部長、新潟県警察部長、北海道庁警察部長、富山県内務部長などを歴任。

1924年6月、香川県知事に就任。1926年9月、朝鮮総督府警務局長に転じ、1929年11月まで在任。1931年1月、栃木県知事となる。昭和恐慌の対策に尽力するが、同年12月18日に知事を休職し[1]1932年2月に退官した。

その後、東洋セメント取締役日本鋪道社長、満州舗道社長、朝鮮石油取締役などを歴任。

1947年4月の第23回衆議院議員総選挙岩手県第2区日本自由党から立候補し当選。1952年10月の第25回総選挙まで連続3回の当選を果たした。その他、衆議院建設委員長民主自由党総務を務めた。

1966年11月の秋の叙勲勲三等から勲二等に叙され、瑞宝章を受章する[2]。しかし、叙勲が発令された同月3日に死去した。83歳没。同月8日、特旨を以て位一級を追陞され、死没日付をもって従四位から正四位に叙された[3]

栄典

脚注

  1. ^ 『官報』第1493号、昭和6年12月19日。
  2. ^ 『官報』第11968号7頁 昭和41年11月4日号
  3. ^ 『官報』第11973号18頁 昭和41年11月10日号
  4. ^ 『官報』第263号「叙任及辞令」1927年11月12日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
議会
先代
柏原義則
衆議院建設委員長
1949年 - 1950年
次代
薬師神岩太郎
官職
先代
原田維織
栃木県知事
官選第25代:1931年
次代
豊島長吉
先代
三矢宮松
朝鮮総督府警務局長
1926年-1929年
次代
森岡二朗
先代
中川健藏
香川県知事
官選第19代:1924年-1926年
次代
三浦実生



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