池上曽根遺跡とは? わかりやすく解説

池上曽根遺跡

名称: 池上曽根遺跡
ふりがな いけがみそねいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 大阪府
市区町村 和泉市池上町泉大津市曽根町
管理団体
指定年月日 1976.04.26(昭和51.04.26)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日 平成5.02.05
解説文: S50-12-038[[池上]いけがみ]・[[曽根]そね]遺跡.txt: 和泉平野の東にあって南から北にのびる泉北丘陵の一支丘、信太山丘陵の西にひらける平地所在する著名な弥生時代の集落跡である。この地域には条里制がよく残り、本遺跡形成展開した時期旧地形は辿りにくくなってはいるが、多年にわたる調査結果信太山丘陵より西流する一河川の存在池上の現集落附近で2岐に分流し、1つ北西に、1つ南西流下していく事実知られる至った。本遺跡は、この2岐に分かれる分流点の西にみられる高地上に占地し、巧み関連暗示している。
 遺跡弥生時代前期はじまり古墳時代以降に至る各期にわたる遺構・遺物とどめているが、最も整備され時期弥生時代中期である。この時期集落は幅7メートル深さメートルという大規模な溝で北西流する信太川の分流から引水し、東西300メートル南北400メートル範囲楕円形に劃している。内部には多数竪穴住居をはじめ小溝見られるほか、方形周溝墓発見もあり、生活空間実際示している。ただ中以降集落は、この環濠内部にとどまることなく四周拡散していくし、墓域分散していくようであるが、集落中核がこの環濠にあったことは容易にうかがわれる発見遺物中でも多数石庖丁農耕具水稲農耕の、またおびただしい石鏃蛸壺存在狩猟漁撈実際浮かび上がらせるだけでなく、木製鳥形や陽根形はこの時期信仰までも教え貴重な資料である。尨大な量の土器には、在地つくられたもの、紀伊摂津河内から運びこまれたものが混然として存在し、この集落中核的意義をよく示している。いずれにせよ日本弥生文化考え上できわめて重要な遺跡といえる
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史跡:  江田船山古墳  江釣子古墳群  江馬氏城館跡  池上曽根遺跡  池辺寺跡  沖ノ原遺跡  沢庵墓




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