永世名人獲得後とは? わかりやすく解説

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永世名人獲得後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:14 UTC 版)

森内俊之」の記事における「永世名人獲得後」の解説

2008年3月25日第21期竜王戦5位決定戦1回戦中原誠十六名人敗れ2組降級タイトルホルダー2組降級は、1991年9月20日羽生棋王当時以来2人目。 2008年6月17日山形県天童市の「天童ホテル」で行われた66期名人戦第6局羽生敗れ無冠九段後退一方羽生は、内に1年遅れで永世名人十九名人)の資格得た永世名人2年連続誕生したのは史上初。 以降名人戦以外のタイトル戦からもしばらく遠ざかっていたが、2009年度第22期竜王戦深浦康市との挑戦者決定三番勝負を2勝1敗で制し渡辺竜王へ挑戦5年前とは立場換えての対決となったが、4連敗ストレート負けとなった。 第69期2010年度A級順位戦優勝し羽生名人への挑戦獲得同時に順位戦デビューの第47期から続く順位戦勝ち越し連続記録名人在位を含む)を23期に伸ばした永世名人同士対決となった第69期名人戦七番勝負第2局2011年4月20日 - 21日)で挙げた勝利は、史上15人目通算800勝(433敗)となった将棋栄誉敢闘賞)。その後名人戦は3連勝後に3連敗喫して最終戦までもつれ込み2011年6月22日山梨県甲府市・「常磐ホテル」にて行われた最終第7局を123手で制し遂に名人位を奪還永世名人同士七番勝負過去にもあるが、自身より後の永世名人から名人位を奪取したのは内が初。2011年度は、名人位を奪取したものの他棋戦成績振るわず、年度勝率は3割台に落ち込んだ2012年度第70期名人戦七番勝負では、A級順位戦全勝した羽生二冠挑戦受けたシリーズ前に内の苦戦予想する声があったが、4勝2敗で名人位を防衛2013年度第71期名人戦七番勝負では、前年引き続き羽生三冠挑戦受けた羽生との名人戦3年連続8度となったが、4勝1敗で名人位を防衛この年名人戦は、星の差だけでなく将棋内容においても、「一方的であった。さらに、竜王戦においては決勝三番勝負郷田九段に勝ち、挑戦獲得第26期竜王戦七番勝負では、かつて内から竜王位奪取して以来、9連覇中だった渡辺明竜王を4勝1敗で破り竜王位奪還渡辺竜王の10連覇阻止した。(対戦前内は、この竜王戦は非常に厳し戦いになることを予想し渡辺竜王になんとか2勝することを現実的な目標として考えていた)。竜王位名人位の2大タイトル手中に収め、これらの活躍により、2013年度将棋大賞2度目最優秀棋士賞受賞した2014年度の第72期名人戦七番勝負では、今回3年連続となる羽生三冠挑戦を受ける。羽生との名人戦はこれで4年連続9回目結果は4連敗で、名人位を失冠。その直後始まった第85期棋聖戦五番勝負羽生棋聖挑戦するも、再び3連敗ストレート負け喫し奪取はならなかった。 第27期竜王戦七番勝負では、糸谷哲郎七段の挑戦を受けるが、1勝4敗で敗れ竜王位防衛失敗第64回NHK杯テレビ将棋トーナメントでは、1回戦シード2回戦から、木村一基八段羽生善治名人菅井竜也五段、深浦康市九段決勝戦行方尚史八段に勝ち、同棋戦において自身3度目優勝果たした

※この「永世名人獲得後」の解説は、「森内俊之」の解説の一部です。
「永世名人獲得後」を含む「森内俊之」の記事については、「森内俊之」の概要を参照ください。

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