永世名人へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:14 UTC 版)
第63期名人戦第2局第86手△4五歩まで(この次の一手が▲4八金)△羽生善治四冠 持駒:歩三 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 金 一 銀 王 金 二 歩 歩 龍 歩 三 歩 歩 歩 角 歩 四 歩 五 歩 六 歩 歩 全 歩 歩 七 玉 金 金 八 香 桂 銀 馬 龍 銀 桂 香 九 ▲森内俊之名人 持駒:桂香歩二 2003年度は、第61期名人戦七番勝負において、4連敗で名人位を羽生挑戦者に奪取されるも、第16期竜王戦七番勝負では逆に4連勝で羽生竜王から竜王位を奪取。これは羽生にとって初のタイトル戦ストレート負けとなった。第53期王将戦七番勝負においても、羽生王将を4勝2敗1千日手で降し、王将位を奪取。さらにはA級順位戦史上初の9戦全勝 を果たし、羽生名人への挑戦権を獲得。2003年度将棋大賞で最優秀棋士賞を初受賞。 そして、2004年度の第62期名人戦七番勝負において、羽生名人に4勝2敗で勝ち、名人位を奪取。この時点で史上7人目 の三冠王(竜王・名人・王将)となり、最多冠保持者となった。また、2004年(1月-12月)の獲得賞金・対局料は1億円を突破した。 王座戦では、当時12連覇中だった羽生王座への挑戦権を獲得するも、1勝3敗で奪取には至らず。また、同年度、三冠のうち竜王位を3勝4敗で渡辺明七段に、王将位を4連敗で羽生二冠にそれぞれ奪われ、保持するタイトルは名人の一冠のみとなる。 第63期名人戦七番勝負(2005年度)に挑戦者として名乗りを挙げたのは、A級順位戦を8勝1敗で制した羽生。第1局で逆転負けし、対羽生戦8連敗を喫する。しかし、第2局では終盤で羽生が残り16分のうち12分を費やして打った△4五歩(右図参照)をとがめる絶妙の一手▲4八金 で逆転勝ちを収める。結果、この七番勝負では4勝3敗で名人位を防衛した。これで羽生の永世名人資格獲得(通算5期)を2年連続で阻止したことになる(2年後、羽生より一歩先に永世名人の資格を獲得)。 2006年(2005年度)、羽生から棋王を奪取して二冠(名人・棋王)となる(棋王は翌年佐藤康光に奪われる)。 2006年の第64期名人戦では、十七世名人の資格を持つ谷川浩司の挑戦を4勝2敗で退ける。この七番勝負で森内自身が最も印象的に残った局面は、第1局の86手目と90手目に、自陣の8二、7二に2枚の銀を打ち並べるという珍しい受け方で、我慢したところであったという。 2007年6月29日、第65期名人戦で郷田真隆の挑戦を受け、4勝3敗で防衛。通算5期獲得となり永世名人(十八世名人)の資格を得た。
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