民営時代とは? わかりやすく解説

民営時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/27 23:45 UTC 版)

名古屋市電中村線」の記事における「民営時代」の解説

詳細は「中村電気軌道」を参照 中村線は、名古屋土地株式会社という不動産会社土地開発のため敷設した路線前身とする。会社1911年明治44年9月設立同社名古屋駅南方陸橋明治橋」より西へ向かい稲葉地にて北に折れ中村公園正門へ至る道路1913年大正2年春に整備し沿道宅地造成進めた次いで軌道建設着手し1913年10月17日明治橋停留場から公園前停留場へ至る路線開業させた。 電車開業により、沿線牧野米野下中中村といった地域では徐々に民家増加し市街化進んだ。また1923年大正12年4月沿線大須から遊廓移転中村遊廓出現した電車その後1926年大正15年6月1日付で名古屋土地から中村電気軌道経営移される。しかし昭和に入ると、名古屋駅直通する他社の路線バス乗客奪われ電車乗客著しく減少した中村電気軌道でも自衛のため1929年昭和4年1月より名古屋駅前と中村公園を結ぶ兼営バス開業するその後電車乗客数兼営バス6分の1まで縮小した

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民営時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 20:13 UTC 版)

札幌市電」の記事における「民営時代」の解説

札幌石材馬車鉄道」も参照 1918年大正7年8月 - 9月に開道50周年記念して北海道大博覧会開催されることになったのを機に馬車鉄道路面電車化しようという動き高まり1916年大正5年10月には「馬車軌道」から「電気軌道」へ社名変更した改軌および電化工事1918年大正7年4月から始められた。当初軌間を1,372 mm馬鉄軌)とする計画で、車両イギリスデッカー社から輸入する予定だったが、第一次世界大戦の影響ヨーロッパからの海上輸送は困難となり、急遽名古屋電気鉄道から中古車両譲り受け、またアメリカからやはり中古レール輸入した。この時、軌間車両合わせて鉄道院管轄下の国有鉄道国鉄JR前身)と同じ1,067 mm変更された。こうした混乱のため、8月1日博覧会開会に間に合わず8月12日に停公線(札幌停車場 - 中島公園、のちの西4丁目線および中島線)、南四条線(南4条西3丁目 - 南4条東3丁目、のちの豊平線)、一条線南1条西14丁目 - 南1条2丁目)が開業したその後、旧馬車軌道線を中心としてほぼ毎年のように路線新設延長相次いだ冬季悩まされ馬そりによって代行輸送することも少なくなかったが、1925年大正14年)より運行開始したササラ電車により改善されている。ササラ電車は現在でも軌道除雪活躍し札幌冬の風物詩となっている。

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