歴史~資本主義からグローバル資本主義へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 14:52 UTC 版)
「グローバル資本主義」の記事における「歴史~資本主義からグローバル資本主義へ」の解説
19世紀末に金本位制が広く採用され、国際金融市場の為替取引を容易にし、預金通貨の需要を生んだ。1907年恐慌の前後に巨額の資本が大西洋を横断するようになった。世界恐慌までに生じたバブルは、そうした資金が呼び水となっていた。第二次世界大戦後、マーシャル・プランが戦中の停滞を打ち破った。ブレトンウッズ協定がユーロダラーの登場により管理通貨制度へ変わってゆくと、ユーロ債市場が盛況となった。グローバル資本主義はオイルショックで本格的なものとなった。 1973年に産油国が石油輸出国機構(OPEC)を組織して、原油価格を引き上げたことに始まる(当時1バレル1.90ドルから9.76ドルへ)。ついでイラン・イラクの政変にあわせさらに値上げされ、石油産油国の黒字はにわかに巨額化しはじめる一方、石油輸入国では多額の赤字を補填するための資金調達に奔走し始める。オイルダラーの還流を望む西欧諸国政府の思惑もあり、ユーロダラーの発明とともに金融規制の極めて少ないオフショア市場が各地で発達していく。 オフショア市場へ流れる国際金融資本を自国へ取り戻すため、各国は税制その他の優遇措置をとりはじめるが、結果として国際金融資本(オフショア資本)の移動の自由度および匿名性をさらに高めることとなった。1980年代には、マーガレット・サッチャーとロナルド・レーガンの「小さな政府」政策により、経済への規制緩和が進められ、1983年以降、度重なる危機はあったものの、グローバル経済は長期にわたり事実上切れ目のない拡大を続け、真にグローバルと呼べるまでに成長した。本格化したグローバル資本主義は1987年のブラックマンデーをものともせずに成長した。そして米ソ冷戦終結後、特にソ連が崩壊した1991年以後に、一強と化したアメリカ合衆国流の市場原理主義・新自由主義が、世界各国へ導入された。それは、投資家の利益を図るため世界の市場経済の一極化と単一化を計り、国際通貨基金 (IMF) などの国際機関が関わって推し進められた。 今日では、さまざまな国の為替レート、金利、株価、原油価格などが密接につながっている。
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