歴史・関連楽器とは? わかりやすく解説

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歴史・関連楽器

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 06:23 UTC 版)

「三味線」記事における「歴史・関連楽器」の解説

三味線楽器分類学上「リュート属」に属しその中でも胴に長い棹を差し込んだ形状をしており、このような楽器世界各地見られギターシタールも同じ仲間と見なされている。いっぽう同じリュート属でも琵琶リュートなど棹と胴一体化もしくはそれに近いものとは別の系統とされる楕円形の胴に革を張り棒状長い棹を取り付けたリュート属弦楽器は、すでに古代エジプト壁画見られる。しかしこれが三味線直接的な祖先かどうか分からない一方同じよう楽器中国秦代にも現れ、やがて奚琴となり、トルコ族によって中東伝えられラバーブになった。このラバーブが後に中東及びイランペルシャ)のセタールとなったという説がある(胡弓演奏家原一男による「擦弦楽器奚琴起源説」)。これは「3つの弦(糸)」の意であり、これが三味線祖先とされる。のち中国入り三弦(サンシェン)が生まれる。琉球王国現在の沖縄県)と中国大陸福州)との貿易により琉球もたらされ宮廷音楽に採り入れられ三線サンシンとなった。そのため、沖縄県では「サンシン」と「シャミセン」との二つ呼称併存している。 16世紀末、琉球貿易により堺に宮廷音楽三線もたらされ短期間の内に三味線へと改良された。現存する豊臣秀吉淀殿のために作らせた三味線「淀」は、華奢なものの既に基本的に現在の三味線とほとんど変わらない形状をしている。伝来楽器として三線当道座盲人音楽家によって手が加えられたとされ、三線義爪使って弾奏していたのを改め彼らが専門としていた「平曲平家琵琶)」の撥を援用したのもそのあらわれである。彼らは琵琶音色の持つ渋さ重厚感劇的表現力などを、どちらかといえば軽妙な音色を持つ三味線加えるために様々な工夫施した思われる。特に石村検校三味線改良芸術音楽化、地歌成立大きく関わった盲人音楽家であろうと言われる。 こうして軽重哀楽幅広い表現可能にした三味線には、江戸時代に入るとすぐ石村検校らにより最初三味線音楽種目である地歌生まれる。また語り物である浄瑠璃にも取り入れられ三味線音楽は「歌いもの」「語りもの」の二つ流れ大きく分かれ、更に分化繰り返して大きく発展していく。都市芸術音楽から流行歌、やがて地方民謡にまで盛んに使われるようになり、様々な近世邦楽リードし支え更なる改良加えられ日本代表する弦楽器となった日本音楽史上、一般民衆手にすることの出来た楽器は、神楽の笛、太鼓、鈴であり、ついで三味線であった文政年間オランダ商館長メイラン日本の音楽事情について「楽器の中では三味線が一番ひろく用いられる」と記している。

※この「歴史・関連楽器」の解説は、「三味線」の解説の一部です。
「歴史・関連楽器」を含む「三味線」の記事については、「三味線」の概要を参照ください。

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