欺瞞作戦の立案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 03:43 UTC 版)
1943年初頭、前年11月8日に北アフリカ戦線で連合国軍が開始したトーチ作戦は、一進一退の切迫した局面を迎えていたが、連合国側の計画立案者は、すでに戦争の次の段階を考えており、地中海の戦いにおける攻勢を続けることを決定した。シチリアの制圧は連合国軍の艦隊に地中海を開放し、ヨーロッパ大陸への侵攻を可能にする。このため、シチリアは明白な戦略目標であり、ドイツ軍の計画立案者も当然そのように見ていた(ウィンストン・チャーチルは、「極めつけの馬鹿以外は、誰だってシチリアだと知っていたさ」とコメントしている)。さらにその上、連合国軍は侵攻に向けた大規模な増強(ハスキー作戦)を発動していたが、これはまず間違いなく検知されているはずであり、ドイツ軍は何らかの大規模な攻撃があることを当然察知しているはずであった。しかし、もし連合国軍側が攻撃目標についてドイツ軍を欺くことができれば、ドイツ軍は戦力のかなり大きな部分を分散配置する可能性があり、侵攻の助けとなることが期待できた。 その数ヶ月前、MI5セクションB1(a)のチャールズ・チャムリー(Charles Cholmondeley)空軍大尉は、死んだ男に無線機を持たせ、うまく開いていないパラシュートを着けてフランスに投下し、わざとドイツ軍に発見させるという方法を思いついた。これはドイツ軍に、無線機が鹵獲され、連合国側のエージェントになりすました者がそれを扱っていることに、連合国側が気づいていないと錯覚させ、その結果、連合国側が彼らに偽情報を吹き込むことを可能にするというアイデアであった。このアイデアは実現性が低いということで却下されてしまったが、後日、二重スパイ作戦であるダブルクロスシステム (XX System)を担当する、軍および部局間の小さな諜報連絡調整チームである20委員会(この名称は XX がローマ数字で20を意味することにちなんでいる)に取り上げられることになった。チャムリーは20委員会のメンバーであり、イギリス海軍の諜報部員ユーエン・モンタギュー(Ewen Montagu)少佐も同じくメンバーであった。 モンタギューとチャムリーは、チャムリーの元々のアイデアを、無線機を書類に置き換えることで、より実現性の高い計画に発展させた。委員会ははじめ、欠陥のあるパラシュートを着けた死体に書類を持たせる計画を考案した。しかし、ドイツ軍は連合国軍のポリシーとして、微妙な性質の書類を敵の陣地の上を通って送達することはあり得ないということを知っているであろう。従って彼らは、その男を海上墜落事故の犠牲者に仕立てることを決めた。これならば、なぜこの男が死後数日経過し、またなぜ秘密書類を運んでいたかの説明にもなる。空軍の航路上、死体はスペインの沿岸に漂着するであろうが、ここでは名目的には中立の政府がドイツの諜報機関である アプヴェーア (国防軍情報部海外電信調査課/外国課)と協力関係にあることが知られていた。このイギリス人たちはスペインの当局が死体の検索を行なった後、見つかったものは何でもドイツ軍のエージェントに検査を許すことを確信していた。 モンタギューはこの作戦に「ミンスミート(Mincemeat)」というコードネームを与えた。この名前は別の成功裏に終了した作戦で使われていたが、ちょうどこの時、利用可能なコードネームのリストに戻されていた。
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