欺瞞と陽動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:36 UTC 版)
作戦実施にあたり、日本本土の神戸や横浜などで、補給品の集積やLSTなどの艤装変更、上陸部隊の集結と乗船が大規模に行われたが、これらの港湾作業をスパイに隠し通すことは不可能であった。そのため、上陸時期や兵力は北朝鮮側に知られるものとして行動しなければならず、上陸地点の秘匿が重要であった。しかし日本では、上陸作戦の2週間ほど前から軍事的関心を持つ人の間で、国連軍による仁川上陸は知れ渡っていた。 作戦に参加するために洛東江突出部から引き揚げたアメリカ第5海兵連隊は釜山で上陸準備を行った。この際、隊員には「群山上陸作戦」と告げられ、隊内には群山の地図や模型が置かれた。スパイを想定し、これらは基地に出入りする韓国人から見えるところに故意に置かれた。隊員たちに仁川上陸が教えられたのは輸送艦が海上に出た9月14日の午後だった。輸送船が不足していたアメリカが日本政府に要請して輸送することになった日本の民間船には、何も知らされないまま戦闘に参加する事になった。半数の船が神戸からだった。報道機関に対しては国連軍の反撃上陸が「10月半ば」に行われる可能性が告げられた。 アメリカ第5空軍は仁川周辺を爆撃する共に、9月5日から9月13日にかけて群山周辺50キロメートルの交通網に対し仁川周辺に行ったのと同規模の爆撃を行った。群山にはアメリカ軍、イギリス軍による上陸作戦を布告するビラが散布され、9月12日にイギリス艦隊の支援の元でアメリカ・イギリスのコマンド部隊が威力偵察のための強襲上陸を行った。9月13日、戦艦ミズーリと数隻の駆逐艦は、朝鮮半島東海岸の北朝鮮軍の要衝三陟(サムチョク)周辺の砲台や海岸陣地にたいし上陸準備を欺瞞する艦砲射撃を行った。また、イギリス空母トライアンフと重巡洋艦ヘレナが平壌の外港の鎮南浦一帯に艦砲射撃と爆撃を行った。 マッカーサーが AGC(揚陸指揮艦)のマウント・マッキンリー(英語版)に乗船するために東京を出発する情報も秘匿された。側近のGHQ民政局局長ホイットニー少将らをともなったマッカーサー一行は、専用機「スキャップ」で東京から板付基地に移動し、陸路、佐世保基地に向かったが、板付基地、佐世保基地ともに元帥一行の来訪を知らされていなかった。9月11日午後、上陸作戦を指揮するアメリカ海軍ドイル提督と第10軍団長アーモンド少将、第1海兵師団長スミス少将らを乗せ神戸から出港したマウント・マッキンリーは9月12日の深夜、佐世保に寄港し、マッカーサー等を乗船させると直ちに出港した。
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