機体捜索
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 03:34 UTC 版)
「コメット連続墜落事故」の記事における「機体捜索」の解説
前述のように、南アフリカ航空201便はサルベージが技術的に不可能であるため、既に行われていたBOAC781便(機体記号G-ALYP)のサルベージに全力を注ぐことになった。 機体の残骸引き上げ作業には、イギリス海軍の潜水夫が動員されたが、当時の技術では水深100mが限界であったため、それ以上の海底に沈んだ残骸を網でさらうために、イタリアの民間トロール船もチャーターされた。このチャーター料もアメリカドルの現金払いとなり、事故調査官は闇ドルを現金払いするという二重のリスクを冒して、請負人に直接支払ったという。当時の固定通貨相場で絶大な価値のあった米ドルでの現金払いは、イタリア側の請負人にとっては望外の有利な取引であったが、イタリア政府を通さない違法行為であり、物的にも外交的にも様々なトラブルの原因になりかねなかった。コメットの残骸探索のために手段を選ばなかったイギリス当局の切実さがうかがわれる。 捜索範囲は19km四方に広がっていたが、ソナーを使用して海底を探査し、音波の反応があった箇所にマーカーブイを投下し、後に水中カメラなどによって正体が確かめられた。また、コメットが空中分解した時にどのように機体が落下するかを調査するため、模型を気球で持ち上げて空中で部品をバラバラにする実験を行うなどし、捜索範囲を絞り込んだ。 引き上げられた残骸は、エルバ島のポルト・アッズッロで錆びないように真水で洗浄したうえで、調査と鑑別が行われ、イギリスのファーンボロにあるRAEの格納庫に送られた。そこで、残骸は用意された実物大のコメットの木枠に貼り付けられて機体形状の再現が行われた。このようなパズルのような再現作業もまた世界初の試みであった。 これによって、機体破壊は胴体中央部、胴体後部、機首、主翼の順に起きたと考えられるようになった。これは、尾部と胴体後部に激しく金属が当たった痕跡があったうえ、機内にあった絨毯が付いていたためであった。また、左主翼に胴体に塗られていた青色の塗料が付着しており、主翼が胴体に繋がっていた時に胴体左側外壁が激しく衝突したと推測された。そのため、当初事故原因として疑われていた、燃料系統が爆発して高速回転中のジェットエンジンのブレードが破断し、その破片が客室に直撃して墜落した、という可能性は否定された。 コメットの多くの残骸は次々と回収されていったが、8月12日に回収されたADF(自動方向探知器)アンテナがあった胴体天井外壁の残骸は、事故原因を追求する上で最も重要なものとなった(後述)。
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