楊劇西遊記
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『楊東萊先生批評西遊記』(以下、楊劇西遊記)全6巻24齣は、永楽帝に仕えたモンゴル系の劇作家楊景賢が作成した戯曲である。『伝奇四十種』という戯曲叢書の中に収められ、西遊記の原型の一つとなったと思われる物語である。これも中国では現存しておらず、万暦甲寅歳(1614年)刊行の版本が日本の徳山藩毛利家に伝来し、現在では宮内庁書陵部に所蔵されている。元々は呉昌齢の作とされてきたが、孫楷第が『録鬼簿続篇』の研究により楊景賢の作であることを明らかにした。楊景賢(景夏とも。1345年 - 1421年)は元末明初のモンゴル人であるが、現存する楊劇西遊記が楊景賢一人の手に成ったものかどうかは疑わしく、楊東萊なる人物の加筆が行われているという。現存最古の刊本は上記の通り17世紀のものだが、孫楷第により楊劇西遊記が嘉靖年間(1522年 - 1566年)にはすでに成立していたことが分かっており、上述の刊本は再刊である。この楊劇には、世徳堂本よりも古い時代の西遊記物語の要素が残留している形跡がある。 楊劇と世徳堂本の相違は以下のような点がある。 楊劇には世徳堂本にない「陳光蕋(蕊)江流和尚」説話がある。この話は元代の呉昌齢「唐三蔵西天取経」劇にも痕跡が見られるため、元本西遊記の段階で採用され楊劇に残存したが、世徳堂本の段階で削除されたと思われる。 三蔵法師が取経の旅へ出る際、楊劇では世徳堂本にない尉遅敬徳が玄武門の変の軍功を語る場面がある。これも呉昌齢に近い体裁である。世徳堂本では太宗と三蔵のやりとりに重点を置く。 楊劇では木叉が火龍太子を三蔵法師の元へ龍馬として送り届けるが、世徳堂本では観音菩薩が玉龍を谷川に住まわせて三蔵の通過を待たせる。 楊劇の孫悟空は「通天大聖」と号して花果山紫雲羅洞に住み、容姿は「銅筋鉄骨火眼金睛」と形容されるが、これは『詩話』にある紫雲洞・銅筋鉄骨大聖に近い。世徳堂本では「斉天大聖」と号し、「金子心肝銀子肺腑銅頭鉄背火眼金睛」と形容される。楊劇の描写は『詩話』から世徳堂本への過渡的なものと思われる。 楊劇では沙悟浄が三蔵の二番弟子であるが、世徳堂本では三番弟子となる。 楊劇では猪八戒が二郎神の犬に捕らえられた後に三蔵の弟子となるが、世徳堂本では孫悟空に敗れて三蔵の弟子となる。 楊劇では鬼子母と紅孩児が母子であり、話の内容も乏しい。世徳堂本では紅孩児は羅刹女の子としており、独立の話として発展している。 火焔山の内容が大きく異なる。楊劇では鉄扇公主が持つ鉄扇子があれば通れるとされるが、孫行者が借りに行って断られ、結局神将が炎を消す。世徳堂本では羅刹女(鉄扇公主の別名)が持つ芭蕉扇があれば通れるとされ、孫悟空が牛魔王と羅刹女を仏門に帰依させた後、芭蕉扇を使って通過する。 このように全体として、楊劇には古い内容や世徳堂本に至るまでの過渡的な様相が多く見られる。楊劇自体は、小説の旧本西遊記の人気に押され、あまり好評を得なかったようである。
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