楊劇西遊記とは? わかりやすく解説

楊劇西遊記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:55 UTC 版)

西遊記の成立史」の記事における「楊劇西遊記」の解説

『楊東萊先生批評西遊記』(以下、楊劇西遊記)全6巻24齣は、永楽帝仕えたモンゴル系劇作家楊景賢が作成した戯曲である。『伝奇四十種』という戯曲叢書中に収められ西遊記原型一つとなった思われる物語である。これも中国では現存しておらず、万暦甲寅歳(1614年刊行版本日本徳山藩毛利家伝来し、現在では宮内庁書陵部所蔵されている。元々は呉昌齢の作とされてきたが、孫楷第が『録鬼簿続篇』の研究により楊景賢の作であることを明らかにした。楊景賢(景夏とも。1345年 - 1421年)は元末明初モンゴル人であるが、現存する楊劇西遊記が楊景賢一の手成ったものかどうか疑わしく、楊東萊なる人物の加筆が行われているという。現存最古刊本上記通り17世紀のものだが、孫楷第により楊劇西遊記が嘉靖年間1522年 - 1566年)にはすでに成立していたことが分かっており、上述刊本再刊である。この楊劇には、世徳堂本よりも古い時代西遊記物語要素残留している形跡がある。 楊劇と世徳堂本相違は以下のような点がある。 楊劇には世徳堂本にない「陳光蕋(江流和尚説話がある。この話は元代の呉昌齢「唐三蔵西天取経」劇にも痕跡見られるため、元本西遊記段階採用され楊劇に残存したが、世徳堂本段階削除されたと思われる三蔵法師取経の旅へ出る際、楊劇では世徳堂本にない尉遅敬徳玄武門の変軍功を語る場面がある。これも呉昌齢に近い体裁である。世徳堂本では太宗三蔵やりとり重点を置く。 楊劇では木叉が火龍太子三蔵法師元へ龍馬として送り届けるが、世徳堂本では観音菩薩玉龍谷川に住まわせて三蔵通過待たせる。 楊劇の孫悟空は「通天大聖」と号して花果山紫雲羅洞に住み容姿は「鉄骨火眼金睛」と形容されるが、これは『詩話』にある紫雲洞・鉄骨大聖に近い。世徳堂本では「斉天大聖」と号し、「金子心肝銀子肺腑背火眼金睛」と形容される。楊劇の描写は『詩話』から世徳堂本への過渡的なものと思われる。 楊劇では沙悟浄三蔵二番弟子であるが、世徳堂本では三番弟子となる。 楊劇では猪八戒二郎神捕らえられた後に三蔵弟子となるが、世徳堂本では孫悟空敗れて三蔵弟子となる。 楊劇では鬼子母紅孩児母子であり、話の内容乏しい。世徳堂本では紅孩児羅刹女の子としており、独立の話として発展している。 火焔山内容大きく異なる。楊劇では鉄扇公主が持つ鉄扇子があれば通れとされるが、孫行者借り行って断られ結局神将が炎を消す。世徳堂本では羅刹女鉄扇公主の別名)が持つ芭蕉扇があれば通れるとされ、孫悟空牛魔王羅刹女仏門帰依させた後、芭蕉扇使って通過するこのように全体として、楊劇には古い内容や世徳堂本に至るまでの過渡的な様相多く見られる。楊劇自体は、小説の旧本西遊記人気押され、あまり好評を得なかったようである。

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