モンゴル・満洲
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モンゴルは、元朝モンゴル帝国時代にチベット仏教と玄奘伝説が結びつく仲介を果たし、元本西遊記を生み出した重要な役割を果たした。明代に入っても楊劇西遊記の作者楊景賢は漢化したとはいえモンゴル人である。明朝が成立するとモンゴルは北へ後退したが、満洲人の清朝が成立すると、モンゴル人は再び清皇室の同盟者として中国に進出する。清朝高官となったモンゴル人は、清代中期頃から著名な中国小説のモンゴル語訳本を読んでいたらしく、『西遊記』も乾隆56年(1791年)版などいくつかの蒙古語西遊記が現存している。車臣可汗王府(車王府)旧蔵の手抄本『説唱西遊記』など、モンゴル藩王が独自にアレンジした作品も伝わる。なお満洲語訳は明末清初に作られたと思われ、サンクトペテルブルクに光緒11年(1885年)の15冊本、大阪に康煕27年(1688年)の38冊本、北京故宮博物院図書館に年代不明の50冊抄写本が残る。
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