梅と牛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 09:27 UTC 版)
梅および牛との関係が深く、特に梅の名所として知られる。 東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな — 菅原道真、拾遺和歌集 道真は梅をこよなく愛し、大宰府左遷の際、庭の梅に上記の和歌を詠んだことや、その梅が菅原道真を慕って一晩のうちに大宰府に飛来したという飛梅伝説ができたことから梅が神紋となり、約2万坪の敷地には50種1500本の梅が植えられている。 このような菅原道真と梅との結びつきから、命日にあたる2月25日に行われる梅花祭では「梅花御供(ばいかのごく)」とよばれる特殊神饌が献供されている。これは明治以前に太陰暦が用いられていた時代には魂を「宥める」にあやかって菜種がささげられていたが、新暦になり、梅花祭の時期が変わったために梅の花が用いられるようになったとされている。なお、2012年現在では梅花祭における菜種は、神職が身に付け奉仕を行うという形で残されている。この神饌では白梅と紅梅を男と女に見立て、土器の上に仙花紙を筒状に丸めて乗せ、玄米を流し入れた土台にそれぞれの梅の枝が挿し込まれ奉げられる。白梅を挿したものが42個作られこれを「男の御供」、紅梅を挿したものを33個作り、「女の御供」と呼んでいる。また、菅原道真が大宰府へ流された際に帯同した従者が薨去以後遺品を京都へ持ち帰り、鎮魂のために毎年収穫された米を奉げていたという伝承に基づき、大判御供、小判御供という形で現代においても神事が受け継がれており、その従者達の末裔である七保会の面々によって御調が行われている。 くわえて、この梅花祭は全国でも珍しく、貞明皇后参拝の古例に従って、天皇からでなく皇后から幣帛料が上げられている。 牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされているが、その理由については「道真の出生年は丑年である」「亡くなったのが丑の月の丑の日である」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など多くの伝承があり、どれが真実なのか、それとも全て伝承に過ぎないのかは今となっては良くわからないものの、それらの伝承にちなみ北野天満宮には神使とされる臥牛の像が多数置かれている。伝承のうち「牛が刺客から道真を守った」というのは和気清麻呂を祭神とする護王神社や和気神社の猪の伝承との関連性が強く認められる。 「御神牛」も参照
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