核兵器貯蔵施設としての辺野古弾薬庫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 13:54 UTC 版)
「辺野古弾薬庫」の記事における「核兵器貯蔵施設としての辺野古弾薬庫」の解説
1971年10月27日、日本の米国大使館から国務省へのテレグラムの記録。米国立公文書記録管理局(NARA)によると、日本国参議院予算委員会で、沖縄の辺野古にある核兵器ポセイドン (潜水艦弾道ミサイル) が、辺野古弾薬庫の1060ビルに存在するという話が取りざたされたと記されていた。 2009年に公開された「1969年11月21日のリチャード・ニクソン米合衆国大統領と佐藤栄作日本国総理大臣との共同声明についての合意議事録」について、翌年「いわゆる密約問題に関する有識者委員会報告書」が検証した。その中に辺野古(弾薬庫)が核兵器貯蔵施設であることが明記されている。しかしながら、日本を含む極東諸国の防衛のため米国が負っている国際的義務を効果的に遂行するために、米国政府は、極めて重大な緊急事態が生じた際、日本政府との事前協議(A)を経て、核兵器の沖縄への再持ち込みと、沖縄を通過させる権利を必要とするであろう。米国政府は、その場合に好意的な回答を期待する (B)。米国政府は、沖縄に現存する核兵器貯蔵地である、嘉手納、那覇、辺野古、並びにナイキ・ハーキュリーズ基地を、何時でも使用できる状態に維持しておき、極めて重大な緊急事態が生じた時には活用できるよう求める。 — リチャード・ニクソン米合衆国大統領 こちらも参照 → 沖縄の核 退役軍人のプロフィールなどから、兵站部隊が辺野古で核兵器組み立てを担っていたことが判明した。1962年にニューメキシコ州アルバカーキで行われた陸軍核兵器組立講座に参加し、沖縄の第137兵站部(辺野古)の核兵器組立チームのNCOIC (非委任役員) として3年間過ごしました。その任務での彼の並外れた兵役により、彼は第5米陸軍の核兵器顧問、DCSLOG (兵站部副部長) に選ばれました。 — ある退役軍人のプロフィール この「核兵器組み立て班」の存在は、米軍全四軍が沖縄に最大18種類、1200発以上の核兵器を配備し、有事の際には分解して日本やその他の地域に核を分解して持ち込み、現地で組み立てるという計画が実際に機能していたことを示す。 1958年4月、弾薬庫の「特殊倉庫施設工事」を請け負った國場組で現場副主任であった国場幸一郎は、当時を振り返り「辺野古のは、あれは普通の弾薬庫じゃないな。どうも特殊兵器ですね」「嘉手納 あたりの普通の弾薬庫はイグルー型といって、かまぼこみたいな形をしているんだが、辺野古のは穴を掘って、ものすごく大きな坑道みたいなものを...。冷房まで入ってた。」と語っている。 情報公開で公表された弾薬庫の見取り図には、それぞれの兵舎地区に沿う形で4カ所のフォールアウト・シェルター (核シェルター) が建設されている。
※この「核兵器貯蔵施設としての辺野古弾薬庫」の解説は、「辺野古弾薬庫」の解説の一部です。
「核兵器貯蔵施設としての辺野古弾薬庫」を含む「辺野古弾薬庫」の記事については、「辺野古弾薬庫」の概要を参照ください。
- 核兵器貯蔵施設としての辺野古弾薬庫のページへのリンク