林立する諸勢力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 23:22 UTC 版)
「エストニアの独立回復」の記事における「林立する諸勢力」の解説
他方、人民戦線が7月23日に発した宣言は、エストニアはソ連に占領されたとの認識を示しつつも、社会主義連邦の発展にエストニア民族を委ねる、として独立を否定する内容であった。幹部会メンバー7人のうち5人を共産党員が占めたエストニア人民戦線は、当初からロシア人の扱いについて、民族独立党や民族遺産保存協会などの民族派とは立場を異にし、自身を民族に関わりなくペレストロイカ支持者を結集するものと表明していた。人民戦線はあくまでも民族間の同権を保障し、モスクワとの関係を連邦から国家連合へと漸進的に変革させることを求めていた。 MRP-AEGから発展した民族独立党は8月20日にその発足を宣言した。その主張は、国際法的・歴史的に未だ有効なタルトゥ条約に違反した現状を正す、ということが骨子であり、連邦憲法第72条の定める連邦離脱権については、そもそもソ連による併合自体が違法である、としてその行使を拒否した。対する人民戦線の設立大会は10月1日に開催されたが、サヴィサールはあくまでも共産党と同様、将来において民主化されるソ連の中での「独立」を掲げていた。8月23日の独ソ不可侵条約締結記念集会も、民族独立党が開催したヒルヴェ公園(ロシア語版)でのものとは別に、人民戦線側はタリン市ホール(エストニア語版)にロシアの歴史家ユーリー・アファナシエフを招いて開催している。 その一方で同年夏には、ロシア人が集住するエストニア北東部でエストニアからの分離要求が持ち出され、そのロシア人勢力は7月19日にエヴゲニー・コーガン(ロシア語版)が指導する「エストニア・ソビエト社会主義共和国勤労者族際主義運動」(族際運動(英語版))へと結集した。族際運動は、ロシア人との対話を目指して同時期に開催された諸民族フォーラム (et) へも参加を拒否し、エストニア人との鮮明な対決姿勢を取った。共産党は、民族派と族際運動の双方を過激派と非難したが、時には族際運動を人民戦線への対抗勢力として利用し、また自身を両者のバランサーとして機能させた。 これらの主要勢力の他にも、劇作家同盟が結成を呼びかけ、民族の文化・教育・出版に関する自己決定権を求める文化人団体「創造連盟」、環境汚染とロシア人の流入に警鐘を鳴らす「エストニア緑の運動」(et)、「青年フォーラム」(et) など、様々な方向からエストニア民族の復権を訴える運動が、民主化運動の過程において百出し始めた。
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