林秀卿の訪北
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しかし、こうなることを見越していた全大協は、当時外語大4年生だった林秀卿をひそかに派遣することを決定した。林秀卿は6月21日に韓国を出発、東京とベルリンを経由して6月30日に平壌へ到着した。林秀卿が平壌で紹介した韓国の国民歌謡「我らの願いは統一」は、すぐに朝鮮中央放送の定番音楽になった。ソウル地下鉄公社(現:ソウル交通公社)広報部長であった林秀卿の父親は、「国民に対する謝罪文」を発表せざるを得なくなった。 林秀卿は、祭典終了後の8月15日、文奎鉉神父と共に板門店経由で韓国に戻ったが、国家保安法違反容疑ですぐに逮捕され、軍用ヘリコプターで捜査機関に移送された。既に民主化宣言を発表していた盧泰愚大統領は、直ちに談話を発表し「林秀卿氏の行為は実定法違反である」として、従来の政治弾圧とは異なる点を強調した。
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