東西線・南北線の建設による市街地交通の改良
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「神戸高速鉄道」の記事における「東西線・南北線の建設による市街地交通の改良」の解説
4電鉄を連絡する鉄道路線の構想は、1946年策定の「神戸市復興基本計画」に始まる。神戸市街地において、戦後復興計画として神戸市電が担っていた市街地輸送の高速化・大容量化を、民間鉄道会社4社(京阪神急行=現・阪急、阪神、山陽、神鉄)を活用して実現したい神戸市側の思惑と、戦前に神戸市中心部(湊川公園附近)に路線を延伸したかった民間鉄道会社側の思惑とを両立させる形で、1948年に神戸市と4社の間で建設に向けた合意が成立、そこから様々な調整を経て、1958年に神戸市が40%・乗り入れ4社(京阪神急行・阪神・山陽・神鉄)が合計40%、地元財界(三越や関西電力、金融機関等)が20%出資する第三セクターの鉄道会社として神戸高速鉄道は設立された。運行形態については、自社の車両を保有するより車両と鉄道員を借りたほうが合理的であるとの判断の元、4社の車両が神戸高速鉄道に乗務員ごと乗り入れる形態とした上で、駅や設備の建設・管理を自社で行うことで鉄道事業者としての体裁を整えた。 1968年に「東西線」「南北線」が完成し、鉄道事業を開始した。このとき、山陽については西代以東を廃線とし、電鉄兵庫駅 - 長田駅間に残っていた併用軌道の解消があわせて実現された。また、京阪神急行の三宮駅と神鉄の湊川駅は頭端式ホームを採用していたため、前者は駅の貫通構造化、後者は線路切り替えによる地上駅(トンネル内)から地下駅への移設工事を行って乗り入れに備えた。ほか、この開業で相互直通運転を開始する京阪神急行・阪神・山陽の3社は、山陽が戦後まもなく直流600Vから1500Vへ昇圧工事を実施したのに対し、阪急と阪神は戦後もしばらく直流600V電化のままとなっていたため架線電圧の違いがあり、当初は東西線の高速神戸駅 - 新開地駅間に1500Vと600Vのつなぎ目であるデッドセクションを設置し、複電圧車のみが直通する案が検討されていたが、最終的には京阪神急行(1967年10月8日実施)と阪神(1967年11月12日実施)が1500Vへの昇圧を実施することで決着した。 今日、神戸高速線と比較されることが多い神戸市営地下鉄山手線は当時具体化した計画はなく、また当時の国鉄山陽本線(現:JR神戸線の神戸駅以西)は長距離輸送の色が強い路線であり(当時山陽新幹線はまだ開業していなかった)、神戸市内輸送においては今ほどの存在感を示せていなかったので、当路線の開業は市街地輸送の改良に大いに貢献した。
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