東西線南北線の建設による市街地交通の改良とは? わかりやすく解説

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東西線・南北線の建設による市街地交通の改良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:24 UTC 版)

神戸高速鉄道」の記事における「東西線・南北線の建設による市街地交通の改良」の解説

4電鉄連絡する鉄道路線構想は、1946年策定の「神戸市復興基本計画」に始まる。神戸市街地において、戦後復興計画として神戸市電担っていた市街地輸送高速化大容量化を、民間鉄道会社4社(京阪神急行=現・阪急阪神山陽神鉄)を活用して実現したい神戸市側の思惑と、戦前神戸市中心部湊川公園附近)に路線延伸たかった民間鉄道会社側の思惑とを両立させる形で、1948年神戸市と4社の間で建設向けた合意成立、そこから様々な調整経て1958年神戸市40%・乗り入れ4社(京阪神急行阪神山陽神鉄)が合計40%、地元財界三越関西電力金融機関等)が20%出資する第三セクター鉄道会社として神戸高速鉄道設立された。運行形態については、自社車両保有するより車両鉄道員借りたほうが合理的であるとの判断の元、4社の車両神戸高速鉄道乗務員ごと乗り入れる形態とした上で、駅や設備建設管理自社で行うことで鉄道事業者としての体裁整えた1968年に「東西線」「南北線」が完成し鉄道事業開始した。このとき、山陽については西代以東廃線とし、電鉄兵庫駅 - 長田駅間に残っていた併用軌道解消あわせて実現された。また、京阪神急行三宮駅神鉄湊川駅頭端式ホーム採用していたため、前者は駅の貫通構造化後者線路切り替えによる地上駅トンネル内)から地下駅への移設工事行って乗り入れ備えた。ほか、この開業相互直通運転開始する京阪神急行阪神山陽の3社は、山陽戦後まもなく直流600Vから1500Vへ昇圧工事実施したのに対し阪急阪神戦後もしばらく直流600V電化のままとなっていたため架線電圧違いがあり、当初東西線高速神戸駅 - 新開地駅間に1500Vと600Vのつなぎ目であるデッドセクション設置し複電圧車のみが直通する案が検討されていたが、最終的に京阪神急行1967年10月8日実施)と阪神1967年11月12日実施)が1500Vへの昇圧実施することで決着した今日神戸高速線比較されることが多い神戸市営地下鉄山手線当時具体化した計画はなく、また当時国鉄山陽本線(現:JR神戸線神戸駅以西)は長距離輸送の色が強い路線であり(当時山陽新幹線はまだ開業していなかった)、神戸市輸送においては今ほど存在感示せていなかったので、当路線の開業市街地輸送改良大い貢献した

※この「東西線・南北線の建設による市街地交通の改良」の解説は、「神戸高速鉄道」の解説の一部です。
「東西線・南北線の建設による市街地交通の改良」を含む「神戸高速鉄道」の記事については、「神戸高速鉄道」の概要を参照ください。

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