東海道線瀬田川鉄橋急行列車脱線転覆事故とは? わかりやすく解説

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東海道線瀬田川鉄橋急行列車脱線転覆事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:45 UTC 版)

日本の鉄道事故 (1949年以前)」の記事における「東海道線瀬田川鉄橋急行列車脱線転覆事故」の解説

1934年昭和9年9月21日室戸台風東海道本線草津駅 - 石山駅間(現在の瀬田駅 - 石山駅間、当時瀬田駅南草津駅未開業)の瀬田川橋梁上を徐行運転していた下り急行列車C53 73+客車11両)が室戸台風強風により脱線。3両目以降の9両の客車橋梁上に転覆し11名が死亡202名が負傷した橋梁上で強風による客車脱線という点では明治時代箒川鉄橋列車転落事故後年余部鉄橋列車転落事故類似しているが、こちらは複線橋梁で、客車がもう片方線路がある側に倒れて寄りかかったため転落水没)という最悪事態避けられた。事故のかなり前から強風だったにも関わらず運行継続した乗務員判断問題視された が、最終的に不可抗力結論出された。 寝台車マイネフ37200が大破し復旧困難であったことから翌年5月廃車となったが、1937年試験車として改造され復活1975年まで在籍した国鉄オハ31系客車参照事故機に風速計設置促進され防風設備研究進められた。 鉄道電話通じず、鉄道省は5時間もの間死傷者氏名すら把握できなかった。鉄道省空中架線問題があるとして鉄道無電整備逓信省要望した。 久留島武彦(児童文学者)、中井一夫(当時衆議院議員神戸又新日報社長、のちの神戸市長)が乗車していたが一命取り留めている。 この事故直前東海道本線摂津富田駅付近旅客列車脱線転覆、また同線野洲駅 - 守山駅間の野洲川橋梁貨物列車転落している。国鉄強風への対策不足が露呈する結果となった。 なお同日午前には、大阪電気軌道奈良線(現・近鉄奈良線)でも大阪府布施町(現・東大阪市)内で電車デボ1形5)が脱線転覆した湾曲したレール注目 摂津富田駅付近脱線転覆した列車

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