東映作品関連
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仮面ライダーシリーズ第1作『仮面ライダー』には、企画段階で参加していたものの執筆はしていない。同作品の企画に参加していた理由について、上原は東映プロデューサーの平山亨が企画に反対する東映上層部や毎日放送を説得するため、『ウルトラマン』に参加していた自身と市川森一を呼び寄せたと証言している。その後、第1話を執筆する予定であったが、『帰ってきたウルトラマン』への参加のために離脱し、実現には至らなかった。上原は、平山はTBSプロデューサーの橋本洋二ともつながりがあったため、快く送り出してくれたと述べている。 『イナズマンF』第12話「幻影都市デスパー・シティ」は、『ウルトラセブン』第43話「第四惑星の悪夢」とテーマを同じくしており、科学の発展・物質文明の行き着く先の恐怖を描いたとしている。後年のインタビューで上原は、人間性を喪失した事件が多発していることから、日本は「第四惑星」「デスパー・シティ」になったと評している。 スーパー戦隊シリーズの脚本執筆本数は、参加作品は少ないものの、曽田博久、荒川稔久、小林靖子に次ぐ歴代4位の174本である。 『宇宙刑事シャイダー』を劇場版2作を含め全話執筆したのは、シャイダー / 沢村大役の円谷浩が円谷プロの家族であったことから「自身を育ててくれた円谷プロに恩返しをしたい」と思ったからだという。 『グランプリの鷹』のイザベルの死について「まさに僕の夢ですね。男のために死ぬ女性というのは」と述べている。 『仮面ライダーBLACK』降板以降、東映や吉川プロデューサーとの縁も途切れたかに見えたが、自宅に数年ぶりに吉川から電話が掛かってきて、「今度やるライダーの映画を書かないか?」と誘われ執筆したのが『仮面ライダーJ』である。上原は同作品を執筆するにあたり前年度作品の『仮面ライダーZO』(杉村升脚本)を強烈に意識したそうで、「特撮マニアが見たら『ZO』が面白いという意見が多いかもしれませんけど、子供が見たら『J』のほうが絶対に面白いと思ってくれる。自信はありますよ」と当時のインタビューにて語っていた。 1990年代以降の東映特撮作品の中心的存在である荒川稔久が、作風において影響を受けた人物の一人である。あまりに影響を受けすぎて、荒川が『仮面ライダーBLACK』に参加したとき、彼がプロデューサーに提出するプロットは上原に似た作風のものばかりだった。しまいには東映の吉川進プロデューサーに「上原正三は二人も要らないんだよ」と一喝されそれらはことごとくボツになったという。荒川が若い頃の苦い思い出だが、おかげで独自の作風を編み出すことができたと後の上原との対談で荒川自身が語っている。 高久進の死去に際して『Gメン'75』における高久の代表作・「沖縄三部作(第59 - 61話)」を初めて視聴。沖縄の負の部分を徹底して暴く骨太な作劇に上原は数回DVDを観直すほど衝撃を受けたようで、「高久さんは沖縄を自らの中に取り込んで書いている」と評価した。 スーパー戦隊シリーズなどを担当した東映プロデューサーの吉川進は大学の先輩にあたる。吉川は上原について、反骨精神が強く、一見他愛もないような作品でも根底には深いものがあると評し、また素っ頓狂な内容でも自然に感じられると述べており、ライターとしての実力を評価している。 スーパー戦隊シリーズなどに共に参加していた脚本家の曽田博久は、上原の仕事の早さや多作ぶりに圧倒されたといい、また戦争を経験しているがゆえの生きる姿の力強さやバイタリティの違いを感じ、敵わないと思ったという。
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