末期の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:32 UTC 版)
「長野電鉄2000系電車」の記事における「末期の動き」の解説
長野電鉄では、2005年(平成17年)に東急8500系電車を購入し、新たに自社の8500系として運用を開始した。これに伴い、2000系B編成(モハ2003 - サハ2052 - モハ2004)が同年8月28日を最後に運用離脱し、須坂駅構内に留置された後に一度信州中野駅構内に移動した。その後、2006年10月に信濃川田駅まで移送の上、解体された。 また、2005年8月12日には小田急10000形電車(HiSE)4両編成2本の無償譲渡を受けた。これを2006年12月9日のダイヤ改正で特急車両の2代目1000系としてA特急「ゆけむり」で運行開始し、主力車両としての座を明け渡した。そしてC編成(モハ2005 - サハ2053 - モハ2006)が同日をもって運用を離脱した。 ただし、この時点で2000系はB特急運用に使用され、1000系の検査時にはA特急運用にも代替で充当されていた。なお、朝方の普通列車運用に関しては、混雑度の関係から3500系・3600系または8500系に代替された。 2007年(平成19年)1月30日よりガラスが破損した1000系のガラス交換工事が開始されたためにA特急の一部に2000系が運用され、A特急から撤退して2か月足らずで早くもA特急運用に充当される運びとなった。 そして、2007年は特急運転開始から50周年を迎える節目の年でもあり、A編成は2月17日より塗装を登場時のマルーン色に塗り替え復元して運転している。また、D編成も1990年まで使用していた「りんご色」に塗り替え同年8月25日より運転している。したがって、クリーム地に窓回り赤の塗装で運転されるのは同編成が検査入場した同年7月17日で終了となった。同年8月25日には小布施駅等でイベントが催された。 2011年(平成23年)2月26日に2100系「スノーモンキー」(元JR東日本253系電車)の営業運転が開始されたことで、同年3月27日にA編成は営業運転を終了した。残るD編成は同年4月以降イベント時の臨時列車や一部定期列車の代走などで運転されており、同年夏に営業運転を終了する予定であったが、同年8月3日に公式サイトにおいて2012年春までの運行期間延長が発表され、以降2012年(平成24年)3月まで、不定期ながら土曜・日曜・祝日の206列車・203列車(長野 - 須坂間)1往復を中心に、臨時列車や貸切列車としても運転された。これらが終了した同年3月15日には、公式に31日に営業運転を終了することが発表となり、3月25日には長野 - 湯田中 - 須坂 - 屋代 - 須坂の経路で記念列車を運転し、湯田中駅への入線はこの日が最後となった。また、一般の列車としては3月30日の長野発須坂行き217列車にて運行を終了している。 最終日となる3月31日は、屋代線最終営業列車として須坂から屋代までの1往復に充当され、これをもって屋代線とともに2000系は営業を終了。須坂駅留置後は社長以下、関係者と乗客によるささやかな式典が行われた。 2000系と元小田急の1000系「ゆけむり」(2006年12月 小布施駅) マルーン色の2000系(2011年1月 須坂駅)
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