末期の戦闘状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 08:53 UTC 版)
大半がジャングルのルソン島の日本軍は、食糧の補給は完全に途絶えて餓死者が続出し、マラリアや赤痢にかかる者が続出した。部隊としての統制は乱れ、小部隊ごとに山中に散開して生活していた。降伏は固く禁じられていたため、伝染病にかかった者はそのまま死ぬか自決し、衰弱した日本兵は抗日ゲリラや現地民族に襲撃され消耗していった。道の至る所に日本兵や民間人の死体が転がって腐敗により体が膨らみ、臭気を放って蛆虫の巣窟となっていた。手榴弾で自決した日本兵の体の一部分は無残に吹き飛んでいた。飢えた兵士は食糧を求めて村や現地人を襲ったり、日本兵同士で食糧をめぐって殺し合いをしたり、死んだ日本兵を食べたりするなど、戦争どころではなくなった。兵士の間で台湾までたどり着けば助かると信じられていたために、筏を作ったり泳いで台湾まで行こうとするものまでいた。 終戦の4日後、8月19日に山下大将は停戦命令を受容した。しかし分散した各部隊への連絡は困難で、半年かけてようやく全軍が降伏した。降伏までに日本軍は20万人が戦死あるいは戦病死した。アメリカ軍に収容されたが、力尽きて輸送船の甲板への梯子が登れず死ぬ者までいたという。
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