末期の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 01:42 UTC 版)
「ドイツ空軍 (国防軍)」の記事における「末期の戦い」の解説
ノルマンディー上陸作戦の発動に伴い、連合軍の空軍は交通機関を空襲して徹底的な部隊移動妨害を行った。これをカレー上陸のための陽動だと考えた総司令部は兵力の温存を図った。このためノルマンディー上陸時には数機程度の航空機のみを飛ばしたに過ぎず、それはあまりにも少なかった。フランス沿岸部に連合軍の強固な橋頭堡が築かれ、連合軍のヨーロッパへの進出は不動のものになった。フランスに派遣されていたドイツ軍空軍基地は、放棄ないし占領され、大量の機材を失い、防空体制にも重大な穴が生まれた。連合軍の物量と、最終的な判断ミスでドイツは制空権を完全に失い、ドイツ本土への爆撃行はより激しさを増した。東部戦線でもソ連空軍に対してアメリカ・イギリスの兵器貸与が行われ、かつて物量任せであった攻撃は精度が増していた。外的要因のみならず、ドイツ空軍は編隊を組んで飛ぶ事すら困難なほどの燃料不足、総司令部と地方基地との意見の食い違いによる混乱が生まれていた。 1945年4月、ソ連赤軍がベルリンに到達し、ベルリンの戦いが始まる。地上で少年兵や老人、傷病兵などを招集し国民突撃隊が編成される中、ドイツ空軍でもグライダー飛行程度の訓練でも操縦可能というコンセプトに基づき、ハインケル社からジェット戦闘機He 162 フォルクスイェーガーが開発された。しかしながら、コンセプトとは裏腹に熟練者でも操縦が難しい機体となり、部隊が創設されたものの戦果は上がらなかった。
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