ヨーロッパへの進出
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その後、ニューヨークの成功に自信を得た松尾は、1878年(明治11年)のパリ万国博覧会の開催と合わせて、キャプシーヌ通りにパリ支店を開店。初代支店長にはパリ万博で審査官を務め、フランス留学経験のある佐賀出身の大塚琢造を据え、通訳にはフランス語に有能で、帝国大学を卒業した林忠正を起用した。アメリカと同様にフランスでもジャポニスム(日本趣味)が一世を風靡し、審美眼の高いフランス人は陶器、扇子、櫛、簪に至るまで様々な商品を買い求め、パリ支店も盛況となる。日本の絵画も扱っており、次第に浮世絵も日本通の間で人気が出始め、浮世絵は当時の印象派に多大な影響を与えた。 当時無名だったポスト印象派のフィンセント・ファン・ゴッホも起立工商会社に来店し、バルセロナ万国博覧会とパリ万国博覧会のため準備に渡欧していた松尾から起立工商会社と墨書きされた嬉野茶の茶箱のプレートを譲り受け、それをキャンバスに「Still Life With Three Books」と「Small Basket with Flower Bulbs」の二枚の油彩画を描いている(現在、アムステルダムのゴッホ美術館所蔵)。 1888年(明治21年)、バルセロナ万国博覧会にも参加し、起立工商会社は出品委託引受先となっていた。また翌年の1889年(明治22年)のパリ万国博覧会にも参加し、この時代、万博といえば起立工商会社と称されていた。
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