ヨーロッパへの拡散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 13:35 UTC 版)
「現生人類の拡散」の記事における「ヨーロッパへの拡散」の解説
詳細は「:en:Paleolithic Europe」および「:en:Hominid dispersals in Europe」を参照 「オーリニャック文化」、「グラヴェット文化」、および「:en:Art of the Upper Paleolithic」を参照 詳細は「:en:Neanderthal extinction hypotheses」および「:en:Archaic human admixture with modern humans」を参照 現生人類が中央アジアや西アジアから現在のヨーロッパへと移動したのは確実には約4万年前より以前で約4万3千年前に遡る可能性がある。この時にユーラシア西部へ拡散した集団はミトコンドリアDNAハプログループRとその派生型の集団であった。この移動は現生人類が中央アジアからヨーロッパにかけて広がっていたマンモス・ステップ(英語版)に生息していた大型動物の狩猟を行い始めたことによる。43–45,000年前の人骨がイタリアとイギリスで見つかっている。また、ヨーロッパには既にネアンデルタール人がおり、しばらくはヨーロッパや中東において共存していた。ネアンデルタール人との混血は4万7千年前に起こったと考えられており、現生人類がヨーロッパに入る前にはすでにネアンデルタール人と交雑していたといわれる。この交配によって旧石器人や子孫となるユーラシアの人々にはネアンデルタール人の遺伝子がもたらされたとみられている。 その後、現生人類はウラル山脈の西側に定住を始めた。この頃はトナカイや群れを成して移動する動物を追って移動しながら狩猟していたという。しかし、冬の気温は−20 - −30 °Cにもなり、彼らにとって厳しい環境に適応しなければならなかった。毛皮を持つ動物の皮を剥いで作った衣服を作ったり、骨を燃料とした暖炉、肉と骨を蓄えるために永久凍土を掘って作ったいわゆる「氷の貯蔵室」などを発明したりして、寒さをしのぐようになった。ロシアの北極圏にあるマモントヴァヤ・クリヤ(英語版)でも4万年前に人類が到達した形跡が見つかっているが、この時期に人類が北極圏に到達できたのはヨーロッパのみであったと考えられている。 一方、ヨーロッパに最初に到達した最初のホモ・サピエンスと考えられているクロマニョン人はまず、5万年前にザグロス山脈を越えた。その後、インド洋沿岸地域に定住する者もいれば、中央アジアのステップ地帯まで移動したものもいた。その後、クロマニョン人はヨーロッパに到達した。イタリアのパグリッチ洞窟(英語版)で見つかった2体のクロマニョン人の遺骨(2万3千年前と2万4千年前のもの)のDNAを調べたところ、ハプログループN (mtDNA) に分類されるものであることが判明している。 4万5千年前にヨーロッパへの人類の拡散が始まったと考えられており、それからヨーロッパのほぼ全土に人類が定住するまでに1万5千年から2万年ほどかかったと推定されている。 ネアンデルタール人は以前は遅くとも2万4千年前まで生存していたと考えられていた。しかし、以前は約2万4千年前のものとされていたスピ洞窟(英語版)の人骨が最新の放射年代推定では4万4千2百年前から4万6百年前のものとされるなど従来の説を覆す結果が出ている。 近年の研究ではネアンデルタール人が少なくとも3万9千年前には絶滅していたとされる。
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