ヨーロッパへの使者としてとは? わかりやすく解説

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ヨーロッパへの使者として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/27 18:39 UTC 版)

ラッバーン・バール・サウマ」の記事における「ヨーロッパへの使者として」の解説

サウマはアルグン親書贈物携え1287年ビザンツ帝国東ローマ帝国)の皇帝ローマ教皇西欧国王元へ旅立つ。この時サウマに同行した人物モンゴル人貴族のサバディン(サバデナス)、ジェノヴァ銀行家一員だったトマス・アンフーズ、通訳イタリア人ウゲト(ウグェット)らがおり、トーマスとウゲトは1285年イルハン朝からバチカン派遣され使節団加わっていた。 サウマは付添い司祭30頭の馬を連れてトレビゾンド帝国支配する黒海南岸部至り海路コンスタンティノープル向かったコンスタンティノープルビザンツ皇帝アンドロニコス2世から歓迎を受け、またサウマはコンスタンティノープル滞在中にハギア・ソフィア大聖堂アヤ・ソフィア)などの寺院聖遺物見学したコンスタンティノープル発ったサウマたちは再び船に乗り海路イタリアに向かう。 1287年6月18日一行シチリア島通過した際、彼らは火山エトナ火山あるいはストロンボリ島)の噴火目撃した火山の噴火目撃した数日後シチリア晩祷戦争渦中にあるナポリ到着しナポリ王カルロ2世面会した。サウマはナポリ滞在中、1287年6月23日から翌24日にかけてソレント湾でのナポリ王国アラゴン王国海戦目撃し伯爵戦いカタルーニャ語版))、アラゴン軍の勝利ナポリ軍が12,000兵士失ったことを書き留める

※この「ヨーロッパへの使者として」の解説は、「ラッバーン・バール・サウマ」の解説の一部です。
「ヨーロッパへの使者として」を含む「ラッバーン・バール・サウマ」の記事については、「ラッバーン・バール・サウマ」の概要を参照ください。

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