最高裁における審理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 12:02 UTC 版)
「永山則夫連続射殺事件」の記事における「最高裁における審理」の解説
最高裁判所は検察の上告理由のうち、判例違反については「前提を欠き、実質は量刑不当の主張であるため刑事訴訟法405条に定められた適法な上告理由ではない」と判断したが、東京高検の上告後に本事件の調査を担当した最高裁判所調査官・稲田輝明は上告(1981年9月) - 調査官報告書の完成(1982年)まで半年以上を要した。稲田は過去の重大事件における死刑と無期懲役の量刑の境界について調査するため、大学教授や裁判官・法務省刑事局・検察官がそれぞれ調査・作成した死刑の適用可否に関する資料を取り寄せ、「強盗殺人罪で死刑が適用される場合は『殺害された被害者の数』が重要な因子になっている。全体的には『1人の場合は無期懲役以下、複数であれば死刑が適用される』傾向にある」と結論付けた。またこれに加え、過去の重大な少年事件における死刑や無期懲役の適用事例について検討し、「19歳以上の年長少年が犯した強盗殺人事件で複数の被害者が存在する場合、死刑確定が11人、無期懲役が4人。被害者の数が3人の場合はすべて死刑が適用されている」という結果を導き出した。そして、稲田は裁判資料に加えてそれまでに出版された永山の著書(『無知の涙』など)の関連資料を精査して「永山の悲惨な生い立ち・貧しい生育環境は間違いないが、船田判決が示した『精神的な成熟度は実質的に18歳未満の少年と同等』とする事実を裏付ける明らかな証拠を見出すことはできなかった。本事件を担当した最高裁第二小法廷は第一・第三小法廷に対し意見を求め、最高裁判所裁判官の中でも刑事裁判に精通した裁判官たちが非公式に協議を重ねていたため、佐木(1994)は7月8日の本事件判決を「事実上の大法廷判決」と述べている。 最高裁第二小法廷(大橋進裁判長)は1983年(昭和58年)3月17日に「同年4月25日に口頭弁論公判を開廷する」と関係者へ通知した。最高裁では控訴審判決を破棄する場合、必ず口頭弁論を開いた上で判決を言い渡すため、本事件についても控訴審の無期懲役判決が見直される可能性が浮上した。 同年4月25日に口頭弁論が開かれ、検察官は「控訴審判決が『死刑を適用できる事件はどの裁判所も死刑と考える場合で、かつ裁判官全員が一致する場合だけだ』とする基準を挙げたが、これは実質的に死刑宣告を不可能にするもので判例違反だ。本事件に同情の余地はなく、死刑は免れない」と主張した一方、弁護人は「永山は犯行時19歳の少年で、精神的には未成熟だ。少年法の精神からすれば20歳未満の少年に死刑を適用すべきではない。控訴審判決は『死刑制度を運用する上では、公平が保証されるよう最大限に慎重な配慮が必要』と述べているにすぎず、死刑を否定したものではない。永山は深く反省・悔悟を続けており、控訴審判決は正当だ」と反論した。
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