暴力団とのつながり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 08:38 UTC 版)
右翼本来の政治活動以外にも、社会活動として、不祥事を起こしたりテロ支援国家に対して何らかの支援をしている企業に対して抗議活動を行なう団体・個人もある。企業側が解決策として彼らに利益供与をおこなうことがあり、これが企業に対する恐喝事件として摘発されることがある。これをもって、街宣活動をする右翼とは、暴力団や総会屋の隠れ蓑に過ぎないという見方をされることもある。警察は、暴力団系の右翼団体を否定的ニュアンスで「右翼標榜暴力団」「似非(えせ)右翼」と表現している。その他に、偽装右翼とも営業右翼とも言う。なお、否定的ニュアンスを込めずに、単に暴力団系の右翼団体を指す場合、任侠系右翼という呼称が使われることが多い[要出典]。任侠系右翼には稲川会系の大行社や日本皇民党・憂国清心同友会、 住吉会系の大日本朱光会、山口組系の司政会議、住吉会系の日本青年社があり、行動右翼と呼ばれる一方、国政選挙への出馬を行なったことがある。 警察庁は、平成16年(2004年)の広報誌「焦点 警備警察50年」で、1970年代以降に取り締まりを逃れるため、暴力団が政治結社を結成したとの見方を示している。そして、バブル崩壊や暴力団対策法によってシノギが減った者が新たに右翼活動へ接近したとしている。つまり、偽装右翼は、えせ同和行為と同様に、その形態を恐喝や脅迫といった経済的な利益に利用する人々の集団との考えである。 歴史的には、暴力団と右翼団体との関わりは大正期より存在する。原敬首相と床次竹二郎内相が支援して組織された博徒と土建系任侠の全国的組織である「大日本国粋会」は6万名の会員を擁したとも言われ、国体護持と日本の共産化阻止を掲げて、暴力的な直接行動を行なった。労働争議介入、ストライキ破り、部落解放運動攻撃など、時の財閥、政界、軍部は資金的な援助を行なった対左翼の民間暴力装置と位置付けられた。八幡製鐵、大阪市電争議のストライキ破り、奈良県下での水平社との衝突事件を起こしている。他にも大日本正義団、東海聯盟など大正期に任侠系の右翼組織が組織され、数々の事件を起こしている。昭和20年(1945年)に第二次世界大戦が終わると、昭和25年(1950年)までに、日本反共聯盟、日本反共同志会、日本天狗党などの任侠系右翼団体が結成されている。
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