昭和製鉄所設立とは? わかりやすく解説

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昭和製鉄所設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/02 04:45 UTC 版)

昭和製鋼所」の記事における「昭和製鉄所設立」の解説

経営軌道に乗ったころ、当時満鉄社長である山本条太郎は、さらなる製鉄設備の拡充目指す中で、中華民国輸出関税引き上げ動きがあることを懸念して日本本土に対して関税もなく運輸コストも低い朝鮮新義州新たな製鉄所設置する計画着想する。1929年新義州製鉄所のために、昭和製鋼所京城府(現・ソウル)に本店置いて設立されたが、まもなく計画中止された。中止となった経緯については、当時経済事情悪化原因とする見方と、日本政権田中義一内閣から濱口内閣に)および満鉄トップ山本から仙石貢に)の交代主因とする見方がある。 立憲民政党濱口内閣中止決定すると、大陸では関税奨励金などの問題絡み新義州鞍山大連の間で争奪戦となった1931年昭和6年民国20年)に満州事変勃発1933年昭和8年5月塘沽停戦協定締結され日本中華民国との間の武力紛争落ち着いたことで、それまで事情一変し鞍山となった昭和製鋼所1933年6月本店鞍山移転の上鞍山製鉄所合併した資本金1億円。1933年6月以降本社鞍山にあり、用地面積270坪。年産鉄鋼採掘設備約1690000トン石灰石採掘設備440000トン銑鉄製造設備約450000トン選鉱設備約660000トン骸炭設備設備約460000トン製鋼設備鋼塊)約400000トン、その他窯業動力給水運輸、熱管理などの諸設備各種副産物製造設備など鞍山製鉄所は主に粗利用して鞍山地区1934年採鉱量は95トン上った1935年度の生産高銑鉄471725トン焼結鉱501120トン骸炭480471トン硫安7715トン鋼塊211564トンなど。従業員職員雇員3900名、その他従業員17000余名1937年満州国内で南満州鉄道影響力強くなりすぎる事を恐れた関東軍が、鮎川義介招致する鮎川持ち株会社である満州重工業開発設置して昭和製鋼所南満州鉄道から譲渡を受ける。1944年4月本渓湖煤公司東辺道開発会社、光建設局とともに満州製鉄株式会社再編統合され、満州製鉄鞍山本社となる。 1945年第二次世界大戦での日本軍敗北により、満州国崩壊から昭和製鋼所廃止となる。

※この「昭和製鉄所設立」の解説は、「昭和製鋼所」の解説の一部です。
「昭和製鉄所設立」を含む「昭和製鋼所」の記事については、「昭和製鋼所」の概要を参照ください。

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