昭和製鋼所の解体とは? わかりやすく解説

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昭和製鋼所の解体

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/02 04:45 UTC 版)

昭和製鋼所」の記事における「昭和製鋼所の解体」の解説

1945年8月太平洋戦争終戦満州国解体に伴い昭和製鋼所事実上解体迎える。施設進駐したソ連軍接収される。 当初ソ連軍施設維持・再操業考えていた。これは中国共産党との連携前提にした行であった。しかし、共産党軍東北地方勢力拡大する事を恐れた国民党軍アメリカ軍反発を示す。時期的に東西冷戦の陰が見え始めた頃であり(チャーチル鉄のカーテン演説はこの少し後)、西側との関係悪化危惧したソビエト連邦は、程なく方針転換し設備解体してソ連国内持ち帰り始めた目ぼしい設備接収したソ連軍は、1946年2月撤収する。 だが、終戦当時世界有数製鉄所だった昭和製鋼所は、国民党軍共産党軍にとっても戦略上の重要拠点であったソ連軍引き上げた直後八路軍管理したが、1946年4月国民党軍接収その後1948年2月末に八路軍奪還する内戦継続製鉄所再建はかどらず共産党軍支配にようやく落ち着いたのは、1948年10月31日である。 昭和製鋼所は、鞍山鋼鉄公司(現・鞍山鋼鉄集団)として業務再開するとはいえソ連軍による主要な設備撤去数年来内戦によって、施設再開簡単なことではなかった。操業再開1949年7月9日である。 鞍山鋼鉄公司上海宝鋼集団にその地位奪われるまで、長らく中国国内最大手製鉄業であった

※この「昭和製鋼所の解体」の解説は、「昭和製鋼所」の解説の一部です。
「昭和製鋼所の解体」を含む「昭和製鋼所」の記事については、「昭和製鋼所」の概要を参照ください。

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