昭和製鋼所の解体
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1945年8月、太平洋戦争の終戦と満州国の解体に伴い、昭和製鋼所も事実上の解体を迎える。施設は進駐したソ連軍に接収される。 当初ソ連軍は施設の維持・再操業を考えていた。これは中国共産党との連携を前提にした行動であった。しかし、共産党軍が東北地方で勢力を拡大する事を恐れた国民党軍・アメリカ軍は反発を示す。時期的には東西冷戦の陰が見え始めた頃であり(チャーチルの鉄のカーテン演説はこの少し後)、西側との関係悪化を危惧したソビエト連邦は、程なく方針を転換し、設備を解体してソ連国内に持ち帰り始めた。目ぼしい設備を接収したソ連軍は、1946年2月に撤収する。 だが、終戦当時世界有数の製鉄所だった昭和製鋼所は、国民党軍・共産党軍にとっても「戦略上の重要拠点」であった。ソ連軍が引き上げた直後は八路軍が管理したが、1946年4月に国民党軍が接収。その後1948年2月末に八路軍が奪還するも内戦の継続で製鉄所の再建ははかどらず、共産党軍支配にようやく落ち着いたのは、1948年10月31日である。 昭和製鋼所は、鞍山鋼鉄公司(現・鞍山鋼鉄集団)として業務を再開する。とはいえ、ソ連軍による主要な設備の撤去と数年来の内戦によって、施設の再開は簡単なことではなかった。操業再開は1949年7月9日である。 鞍山鋼鉄公司は上海宝鋼集団にその地位を奪われるまで、長らく中国国内で最大手の製鉄業者であった。
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