旧浜松銀行協会
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1930年(昭和5年)竣工。当時の名称は「浜松銀行集会所」で、この手形交換所兼集会所の完成には、のちに静岡銀行頭取となる平野繁太郎らの尽力があった。設計者は浜松市出身の建築家・教育者の中村與資平、50歳のとき完成している。施工は大林組。 1946年(昭和21年)に浜松銀行協会と名称変更され、1998年(平成10年)に国登録有形文化財、2009年(平成21年)に浜松市指定文化財に指定されている。 鉄筋コンクリート構造(RC造)2階建てで、半円のアーチ窓、ロンバルディアバンドと呼ばれる飾り付きの白い壁、濃緑のスペイン瓦など、地中海沿岸を連想させるスペイン風の建物は、中村の欧米旅行の経験が活かされている。北側に面した玄関部の上部には幾何学模様のステンドグラスがあしらわれ、床のモザイクタイルは、浜辺に打ち寄せる波と松並木を表現したデザインとなっている。玄関ドアの右側に「手形交換所」、左側に「浜松銀行協会」の標札がかかっていたという。2階講堂の天井を高くするため、屋根も高くしており、建物正面から見ると右側のパラペットが高くなっている。そのため、瑠璃色のスペイン瓦の軒屋根をつくり、建物左側の小さなアーチが連続するロンバルディアバンドをまわして自然なバランスになるよう設計された。前庭には、シュロとソテツが植えられている。 エントランスホールを中心に、正面奥に娯楽室、談話室、食堂、右手に手形交換室、事務室があり、左手には階段があった。階段の手すりと腰壁は、人造石研ぎ出し仕上げ。手すりは磨き上げられて黒光りしている。中村はホール腰壁に外装仕様のタイルを貼るなど、中庭(パティオ)に見立て、屋外の扱いで設計したとされる。現在、展示室となっている2階の部屋は喫煙室で、正面の窓を開放すると車寄せ上部のバルコニーに出ることができた。壁はしっくい櫛引の仕上げられており、バルコニーについていた鉄製の細い手すりは、戦中に供出されたと言われている。2階講堂では、各銀行の代表者が週1回集会を行っていた。 2004年(平成16年)3月31日、解散し業務を終了した。
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