旧浜松銀行協会とは? わかりやすく解説

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旧浜松銀行協会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 06:25 UTC 版)

木下惠介記念館」の記事における「旧浜松銀行協会」の解説

1930年昭和5年竣工当時の名称は「浜松銀行集会所」で、この手交換所集会所完成には、のちに静岡銀行頭取となる平野繁太郎らの尽力があった。設計者浜松市出身建築家教育者中村與資平50歳のとき完成している。施工大林組1946年昭和21年)に浜松銀行協会と名称変更され1998年平成10年)に国登録有形文化財2009年平成21年)に浜松市指定文化財指定されている。 鉄筋コンクリート構造RC造2階建てで、半円アーチ窓、ロンバルディアバンドと呼ばれる飾り付きの白い壁、濃緑スペイン瓦など、地中海沿岸連想させるスペイン風建物は、中村欧米旅行経験活かされている。北側面した玄関の上部には幾何学模様ステンドグラスあしらわれ、床のモザイクタイルは、浜辺打ち寄せる波と松並木表現したデザインとなっている。玄関ドア右側に「手形交換所」、左側に「浜松銀行協会」の標札かかっていたという。2階講堂天井高くするため、屋根高くしており、建物正面から見ると右側パラペット高くなっている。そのため、瑠璃色スペイン瓦の軒屋根をつくり、建物左側小さなアーチ連続するロンバルディアバンドをまわして自然なバランスになるよう設計された。前庭には、シュロソテツ植えられている。 エントランスホール中心に正面奥に娯楽室、談話室食堂右手手形交換室、事務室があり、左手には階段があった。階段の手すりと腰壁は、人造石研ぎ出し仕上げ手すり磨き上げられて黒光りしている。中村ホール腰壁外装仕様タイル貼るなど、中庭パティオ)に見立て屋外扱い設計したとされる。現在、展示となっている2階部屋喫煙室で、正面の窓を開放する車寄せ上部バルコニーに出ることができた。壁はしっくい櫛引仕上げられており、バルコニーについていた鉄製の細い手すりは、戦中供出されと言われている。2階講堂では、各銀行代表者が週1回集会行っていた。 2004年平成16年3月31日解散し業務終了した

※この「旧浜松銀行協会」の解説は、「木下惠介記念館」の解説の一部です。
「旧浜松銀行協会」を含む「木下惠介記念館」の記事については、「木下惠介記念館」の概要を参照ください。

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