旧浜松市歌
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浜松市の初代市歌は1921年(大正10年)に市制10周年を記念して作成・発表された。鴎外が作詞を手掛けた経緯は同じ軍医で交友関係のあった賀古鶴所が浜松の出身であることが大きいと言われている。 戦前戦後を通じ長らく慣例上の市歌として歌われてきたが、発表から50年目に当たる1971年(昭和46年)7月1日に正式な市歌とする告示が行われた。鴎外が作詞を行った自治体歌としては1909年(明治42年)に作られた横浜市歌と双璧を為す存在として有名であったが、2005年(平成17年)に天竜市・浜北市など11市町村を編入合併するに当たり「歌詞の内容が浜北・北遠地域と何ら関係が無く、市域全体に馴染まない」として、また県内の先行事例である静岡市と清水市の新設合併に際しても既存の静岡市歌と清水市歌を廃止して新市歌を制定する方針が確認された経緯などを踏まえ、合併協議会で廃止が決定、当時の市歌等を合併の前日をもって廃止する告示がなされた。 なお、中区の賀茂真淵記念館では現在も館内映像で旧市歌を紹介している。
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